閑話集

□その愛しさは刃のように
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出先から帰ってきた国木田に、事務員達は彼女が来ていると伝えてきた。
彼女が来るとは聞いていなかったし、何か用があった覚えはない。
緊急か、それともただ遊びに来ただけか、判断がつかないまま、彼女がいるという応接室に顔を出した。

そこに、少女はいた。

黒いソファに白い肌が映える。
上体を横たえた少女は、亜麻色の髪を散らして頬を覗かせていた。
息と共に肩が上下する。
無防備に放り出された両手が、何かを掴み損ねたように中途半端に開いている。

名前を呼ぼうとした口を閉ざす。
今すぐ起こすのは申し訳ないような気がした。
少なくとも国木田には彼女へ至急の用事はない。
事務員に声をかけて毛布を受け取り、そっとその体にかけてやった。
少女の体つきが一枚の毛布に隠れたのを見、安堵の息を漏らす。

ふと、彼女の乱れた髪を見た。
細い柔らかな亜麻色が、彼女の頬を半端に覆っている。
そっとそれに手を伸ばし、避けてやった。
閉じられた瞼が、半開きになった唇が現れる。

けれど目が奪われたのは、そのどれでもなかった。

まつげの縁から頬へ、雫が伝い落ちる。


――思わずすくい取った指に、じとりとした透明なそれは張り付いてくる。


微かに触れてしまった指先が柔らかな頬の感触を残している。
それをもみ消すように、手を強く握り込んだ。

知っている。
彼女が涙する理由は、彼女の過去にしかない。
そこに国木田はいない、なら国木田は彼女のために何かをしたとして、彼女の何にもなれない。
目の前にいながら何もできないなど、これほど惨めなことはない。

そこまで考え、国木田は自分の思考に呆然とする。


「……俺は」


彼女の何になろうとしたのか。

これは傲慢だ。
無知だ。
彼女の全てを知らない人間が望むことではない。
他者を拒む彼女がそれを望んでいないことは明白。
わかっている。

けれど。
それでも。

再び手を伸ばす。
今度は、脱力したまま放られている手を、その指を、そっと掬い上げる。
決して綺麗とは言い難い、タコと傷跡の多いその手は軽かった。

いつも笑顔で振り返ってくる彼女の姿を思い出す。
あの緑に縁取られた青を思い出す。

せめて、と思うのは許されないことだろうか。
せめて今だけは、と。

触れた手をそっと掴む。
その硬くなった皮膚を指先で撫でる。

けれど。


――仰け反った喉元にナイフが突きつけられる。


触れていたはずの手が離れ、閉じられていたはずの少女の青い目がこちらを見上げてきている。

そこにあったのは、一瞬の敵意。
その青が宿した色に、国木田は口を噤む。

わかっていた。
彼女の悲しみは過去のものであり、彼女の中には亡き友が強く残っている。
それを、最近会ったばかりの人間がどうにかできるわけもなかった。

わかっていたことだ。


「……すまない」


言い、体を反らして立ち上がる。
荒く呼吸を繰り返す少女は小さく謝罪を呟いて、しかし確かに安堵の色を青に灯した。
金槌で胸を殴られたような衝撃が走る。

わかっていたことだった。
彼女はそれを望んでいないと。
なのに。

どうしてこの胸は強く痛むのだろう。





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「その愛しさは刃のように」end.
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