第1幕
□従える者、虐げる者
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ヒュ、と喉が鳴る。
リーガンは喉に手を当てた。
しかしその皮膚に触れる感覚すらわからなかった。
危機を訴えようと立ち上がるも、足に力が入らず床に倒れる。
ケントが駆け寄ってきた気がした。
必死に首を動かして、ようやくその黒い服を見つける。
彼は立っていた。
苦しむリーガンを前に、ただ立っていた。
その背後に人影が現れる。
「しびれ薬よ」
牢獄に入れたはずの姉が、エドマンドの腕に抱きつきながら笑っていた。
「致死量の毒は美味しかった? リーガン」
「……し、て」
「どうして? そりゃもう、リーガンを殺すために決まってるじゃない。女王の座は一人だけのもの、それが当てはまるのが自分だけだと思ったの?」
ゴネリルの華奢な手がエドマンドを撫でる。
その手付きで、これが策略だったと知る。
自分がゴネリルを陥れたのではない。
自分が、ゴネリルに陥れられたのだ。
「ゴネリル様! 今はそれどころではないのですぞ!」
ケントが叫ぶ。
「《王国》は今、敵からの侵攻を受けています! お二人の力が必要なのです! それなのに、あなたは……!」
「だから取引よ、リーガン」
その手に隠し持っていたものを掲げ、ゴネリルは笑った。
「ここに解毒剤があるわ。アタシを女王としアタシの臣下に下るなら、これをあげる。従わないなら、苦しみながら死ぬことになる」
「ゴネリル様!」
「ケントは黙ってて。――悔しい? そうでしょうね、アナタはいつもアタシに指示を出すばかりで、アタシの意見なんて聞きもしなかった。どちらが姉かなんてわかりゃしない。ねえ、指示される気分はどう? 今まで従順な姉だと思っていたアタシに自分の生死を握られる気分は?」
ふとその歓喜に揺れる目がエドマンドを見上げる。
「自分の愛した男を奪われる気分って、どんなものなのかしら?」
――ふ、と考えなしに怒りが湧いた。
それは空気を振動させながらゴネリルへと走る。
鼓膜を揺るがし破るほどのその衝撃波はしかし、ゴネリルが瞬時に展開した薄布によって反射され、すぐさまリーガンへと返ってきた。
耐え凌いだリーガンの背後で部屋の窓が一気に割れる。
「アタシにアナタの異能が効くわけないじゃない!」
勝利の雄叫びに似た声を張り上げゴネリルが笑う。
「諦めが悪くてよ! ――ねえ、エドマンド、これで約束通りアタシが女王よ」
約束通り。
その言葉にリーガンは硬直する。
約束通り――エドマンドとの約束通り、ゴネリルは組織の頂点を奪取したということか。
「アタシのものになってくれるのよね? リーガンなんて捨てて、アタシだけのものに。そういう約束よね?」
是と言わせようとゴネリルがエドマンドを問い詰める。
それに答えず、エドマンドはそっとゴネリルを自分の体から離した。
離れ際に姉の肌を撫でていく優しいその手付きに、リーガンはエドマンドの真意を知る。
自分は、姉だけではなくこの男にすらも裏切られたのだと。
それでも。
「……た、すけ、て」
それでも、聞いて欲しい。
「たすけて、エドマンド」
この声を、思いを、聞いて欲しい。
一歩歩み寄ってきた彼は、リーガンへと跪いた。
その手が優しく頬を撫でてくる。
しかしそれ以上のことはなかった。
頬を落ちる涙のようにそっと手を離し、彼は何も言わずに立ち上がる。
誰もがエドマンドの言葉を待った。
静まり返る部屋に、遠くからの喧噪が聞こえてくる。
銃声、悲鳴、足音。
それらを纏って、黒外套の男は佇む。
静かに、口を噤んだまま。
時を待つように。
やがて――彼は、誰もいないはずの背後を振り返った。
「これで満足?」
――それは、エドマンドの声ではなかった。
否、確かに彼の声ではあった。
けれど、違う。
彼の声はこれほど無感情ではなかった。
これほど粗雑でも、子供じみてもいなかった。
「ああ」
答えが返ってくる。
成人した男のもの、それでいて人々を支配する者の声。
満足そうなその声は部屋の外から現れた。
上品な靴が、服が、部屋の中に入ってくる。
その姿に誰もが息を呑んだ。
「任務完了だな、クリス」
ギルドの長だと報告されていた男が、そこに立っていた。
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