閑話集

□花惑う
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「はあッ?」

「森さんはびっくりするだろうなあ、まさか敵対関係であるわたしが、中原さんのサイン入りの小切手を持っているんだもの。何の取引をしたのか調べざるを得ないよねえ。中原さん自身も背信問題に立たされるし、幹部っていう階級を配慮しても最悪死刑かな」


チラチラと小切手を扇のように振りながら、クリスは笑みを絶やさない。


「まあ、君がわたしの頼みを聞いてくれると言うのなら、これを廃棄してあげても良いけど?」

「こッの野郎……!」


今すぐこの女をぶっ飛ばしたい。


「それが”目的のもの”かよ!」

「元々ここに来た理由が武器関係の補充だったからね。太宰さんから中原さんへの伝言とプレゼントを受け取った時から考えていたんだよ。こんなに上手くいくとは思ってなかったけど」


ふふ、と小切手で口元を隠しながら上品に笑うこの女に殺意を覚えない方がどうかしている。
ぐ、と握り込んだ拳はしかし振りかざすことは叶わなかった。


「じゃあそういうことで。店長さん、後日受け取りに来ますね」


店主にそう言い、クリスはひらりと店の奥へと向かう。
この店の入り口と出口は異なっているためだ。

店に入る時は両手両足を使って梯子を降りる必要があり、突入者が来てもすぐさま武器を構えることができない。
その隙に店主が突入者を排除できる。

逆に店から出る時は人一人が通れるほどの細い通路を通らなければならないので、来店者は店内へ背中を向けることになりもしもの時始末がしやすい上、もし仮に出口から敵が押し寄せてきたとしても一人ずつしか通れないので店長一人でも十分に対処できる。

くるりと店内へと背を向け、クリスは警戒の一つもない様子で細い通路へ向かっていく。
足取りは軽い。
妖艶な女というよりも公園で遊ぶ子供に近い。

また、この女の雰囲気が変わっている。


「おい」


低い声で呼び止めれば、彼女はぴたりと立ち止まった。
半身振り返ってきた青の目に、問う。


「――本当の手前は”どれ”だ」


無邪気な子供か、陽気な少女か、相手を見定める娼婦か、人当たりの良い女優か、それとも――それ以外か。

女はそこに佇んでいた。
明かりの灯る店内と闇に沈む細い通路、その狭間に佇みながら、何かを思考するように数秒、瞬きを繰り返す。

ふと、その表情が笑みを形作った。
ゆるりと目を細め、形の良い唇が弧を描く。
女は人差し指を立てて己の口元へ当てた。
亜麻色の髪が無風の中でなぜかそよぐ。
細められた眼差しが青く澄み、湖面のように中也を映し込む。
その青が単色ではないことに気付いたのは今が初めてだ。

深緑、風にそよぐ木々の色。
青に差し込んだその色が、青を青よりも深く複雑な色に見せている。

瞠目したのは、その色が陽だまりの下の湖畔のような柔らかさを思わせたからか。


「ご想像にお任せするよ」


女は言い、微笑む。
そして中也へ背を向け、闇に浸った通路の奥へと溶けるように歩み去っていった。



太宰治なる探偵社員が社にも下宿にも顔を出せない日々が続いていると知るのはその数日後のことである。





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「花惑う」end.
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