閑話集

□四月、僕らは出会う
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国木田先生がブルーシートの上に正座で座っている。
その正面に同じく正座で座らされていた。


「何か言うことは」

「すみませんでした……」


周囲にはひらひらと舞い降りる桜の花びら。
日の当たる場所では生徒会のメンバーに鏡花ちゃんと織田先生を交えてわいわいと賑わっている。

楽しげな昼休みを横目に、片隅では国木田先生による説教タイムが始まろうとしていた。
驚くべきことに国木田先生も生徒会の花見に来ていたのだ。


「保健室で休めと言ってあったはずだが」

「さ、誘われたんです」

「誘われたからとほいほい外に出てきたのか」

「う……」


詳細を話せば昼休みの時間も潰れるし先生も納得してくれるしで良いのだろうが、話そうとしてもあの出来事はうまく説明できることではない。
というわけで、甘んじて国木田先生の話を一方的に聞いていた。
倒れやすい奴がどうこう、生活リズムがうんぬん、そんな話を長々と話した後、国木田先生は「わかったか」と確認を取りに来る。


「……はい。すみませんでした」

「とにかくあの後倒れなかったのなら良かったが……医者には行かないのか」

「仕事があるので時間が取れないし、何より説明がうまくできなくて。それに……誰にも言ってはいけない気がするんです」


誰にも言ったことのない本当のことを告げる。


「誰かに言ったら何かが壊れてしまうような、約束していた何かを台無しにしてしまうような……気のせいなのかもしれないんですけど、そんな気がしてしまって、結局誰にも詳しくは話せなくて」


国木田先生は黙って聞いていた。
否定するでも馬鹿にするでもなく、何も言わないで考えている。
その沈黙が心地良かった。
この人はいつも、そうしてこちらの心を救ってくれる。

いつも。


「……ッ」


胸が痛い。


「大丈夫か」

「大丈夫、です、少し、疲れたのかも」

「だから休めと……」


呆れたように言い、そして何かに気付いたように国木田先生は軽く身を乗り出してきた。
手が伸ばされ、髪へと触れる。
どきりと胸が高鳴る。


「桜が」


花びらを取ってくれたらしい。
けれど国木田先生が摘み取ったそれは、花びらではなく花そのものだった。
五枚の花びらがついたままの、桜の花だ。
しばらくそれを見、国木田先生は何かを思い出したかのように懐から何かを取り出した。


「先生……?」


取り出されたのは小さな箱だった。
手のひらに乗るほどの大きさの、薄い箱だ。
買ってきたばかりのようなその蓋を開けて、国木田先生は中身を取り出す。

櫛、だった。
持ち手のない質素な木製の櫛。
国木田先生の持ち物なのだろうか。
けれど今、真新しい箱から取り出されたような。


「動くなよ」

「……ッ」


多愛ないだろうその短い命令言葉にも反応してしまう。

国木田先生は櫛を手にして腰を浮かせ、膝一つ分近付いてきた。
硬くなった体とは真逆に、す、ともどかしいほどに優しく髪が梳かれる。

鼻先にネクタイが揺れている。
視界いっぱいに国木田先生がいる。
体温すら肌に触れてきそうな距離。
手を伸ばせば触れられるどころか、しがみつくこともできる。


——すぐそばに、いる。


泣きそうになるのはなぜだろう。


「手入れはきちんとしておけ」

「……し、してあります」

「普段手で適当に撫で付けているだろうが」


バレている。
自分が髪を大切にしているのは、役柄がそうだからだ。
自分の髪や見た目には拘りはなくて、意識しなければ適当に扱ってしまう。
編み込みなどは好きだけれど、それはお洒落だからというよりも気分転換になるからだ。
いっそ髪の長さを短くしても良いかと思っている。
そうしたら坂口さんに愚痴を言われることもない。

軽く全体を梳いてから、国木田先生はふと耳元の髪を触ってきた。
何かされたらしいが、鏡がないのでわからない。
何かをして、そして満足したかのように一つ頷き、国木田先生は手にしていた櫛を差し出してきた。


「使え」

「……はい?」

「机の中にでも入れておくと良い」


呆然とその大きくて逞しい手の上に乗ったものを見つめた。
それは国木田先生が扱うには小さく女性が扱うにはちょうど良いほどの大きさで、角のない長方形状、持ち手には白い小さな花が描かれている。

櫛。


——櫛を贈ることは基本的には好ましくないとされている。


いつしか聞いた、織田先生の声だ。
黒板に何かを書いた後、教室の中を見渡して先生はその説明を始めていた。
授業風景だから、見知った記憶のはず。


——櫛は苦しむ、死ぬ、の苦死に繋がる。だがそれであえて、贈り物に選ばれることがあるという。幸せも苦しみも、共に死ぬまで乗り越えていこうというメッセージだ。つまりはプロポーズだな。


「……ふぇ」

「クリス?」


心底不思議そうにする国木田先生に何かを言わなければいけないのだろうけれど、言ってはいけない何かをも言ってしまいそうで、あわあわと口元を押さえる。
名前を呼ばれるだけでもどうにかなってしまいそうだ。
全身が熱すぎて、心臓が体のどこにあるのかもわからない。
隠れてしまいたい、もはや家に帰って布団の中に潜り込みたい。


「あわわ……!」

「また妙な鳴き声を……持っていないならと思ったのだが、嫌だったか」

「ッい、嫌とかじゃなくて、その……受け取るのは、まずい気が……!」

「なぜだ」


国木田先生は櫛を贈る意味を知らないらしい。
けれど説明なんてできるわけもない。


「お、織田先生、織田先生!」


必死にヘルプを呼んだ。
何事かといつも通りの真顔でこちらに来た織田先生はしかし、櫛を手にする国木田先生とわたわたとする生徒を見、何を勘違いしたのか「人形遊びか?」とよくわからないことを尋ねてくる。


「に、人形……?」

「花まで差してもらっている」


指を差される。
それが先程国木田先生に何かをされた耳元を指していると気付いて——今自分は桜の花を髪につけているのだと初めて気が付いた。


「……へ」

「こ、これはその!」


隣で国木田先生がわたわたする。


「も、戻しただけだ! 髪についていたから! 別にわざわざ差したわけではない!」


真面目そうな国木田先生が子供じみた慌てぶりをしているのは見ていて面白い。
面白い、のだけれど。

耳元へと手を伸ばす。
耳の上に乗せるように、それは髪に飾られていた。

小さく、彩るように。
国木田先生の手で、わたしの髪に花が添えられた。


「……ふぁあぅ……!」


もはや悲鳴が追いつかない。
真っ赤になっているだろう顔を両手で覆い隠して俯くことで精一杯だった。

数秒後、自身がとんでもない申し出をしてしまっていたことを教えてもらった国木田先生の焦りようは、太宰君が時折話題に持ち出すほど面白かったらしい。


***


四月、桜咲く季節。
この時たくさんの人に出会ったわたしの学園生活は、どこか懐かしくて、苦しくて、愛おしいほどに優しいものになる。





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「四月、僕らは出会う」end.
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