閑話集
□飴玉の向こうに映る青
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「……手前、年いくつだ」
唐突に中也が問うてくる。
飴玉から視線を移した先で、彼の手が再びクリスへと差し出されていた。
その手のひらには何も乗っていない。
きょとんとそれを見返せば、「ゴミ。捨てておく」と中也は短く説明してくれた。
飴玉の殻を受け取ってくれるらしい。
「……ありがとうございます」
「で? いくつだよ」
クリスから受け取った殻をポケットにしまいつつ、中也は前方を見遣った。
飴玉を頬に含む彼の視線の先、廊下の向こう側には壁があるだけだ。
どこを見るわけでもないその様子に従い、クリスもまた前面のクリーム色の壁を注視する。
「……十八です、一応」
「一応ってのは」
「書類上、というか……出生は定かではないので」
ここで嘘を言うのもおかしな気がして、素直に答えた。
へえ、と中也はやはり興味のなさそうな相槌を打つ。
それ以上言及されるわけでもなさそうだった。
「生まれは租界の方か」
「え?」
「いや、何となくな。あそこはいろんな国籍の輩がいるし、手前みたいなガキも珍しくねえ。違ったんなら悪かった」
「……わたしのような、というのは」
何も計画せず尋ねたそれは、純粋な疑問だった。
中也はふとこちらを見遣ってくる。
晴天に似た底知れない青が、クリスを映した。
「……何も知らなそうな面してるくせに、そこらのガキよりも知らなくて良いこと知ってるってことだよ。ナイフとかな」
――息を呑んだ。
こればかりは、隠しようがなかった。
「……何の、ことを」
「護身用か何かは知らねえが、十分すぎる警戒心だ。この街では必要だな」
中也は何に疑問を持ったわけでもないようだった。
淡々と言葉を続けていく。
敵意のないそれに、全身からゆっくりと強張りが解けていった。
は、と短く小さく息を吐き出す。
「……よく、見ているんですね」
「癖だな。そういう奴らとよく顔を合わせる」
「そういう、とは」
「手前が知らなくて良い側の人間達だ」
「……それは」
言いかけて、やめた。
けれど中也は先を促すように帽子の下からクリスを見遣ってくる。
殺意はなくとも鋭いそれに目を逸らす。
けれど視線は痛みを与えるかのようにクリスへと突き刺さってきた。
不可視の、刃。
抗えない。
唇を噛む。
言いかけたそれを声に出そうと努力して、失敗し、数度それを繰り返してようやく問いは喉から出た。
「……それは、わたしと何が違うんですか」
クリスが――否、リアが知らなくて良い側の人間達。
それはクリスのことだ。
クリス自身のことだ。
中也達のことでもある。
彼らとリアは――ナイフを隠し持ち敵意に怯えているクリスは、何が違うと彼は思っているのだろう。
答えはすぐには戻ってこなかった。
隣に佇むポートマフィア幹部は、答えに窮するでもなく考え込むでもなく、黙り続けた。
静かな沈黙。
指先に掴んだままの飴玉は変わりない輝きを放っている。
綺麗だった。
ナイフと血と嘘に慣れた自分には相応しくないほどに、眩しい色が放たれていた。
「……別に難しい話じゃねえよ」
ようやく聞こえてきたのは、クリスが求めた答えではなかった。
中也が壁から背を離し、立ち去るかのように歩き出す。
それを見守る気も起きないまま、クリスは手元の飴玉を見つめ続けた。
――す、とその黄色の裏に黒手袋が添えられる。
中也の手だった。
「貸せ」
短い命令は、クリスの返事も待たずにクリスから飴玉を奪い取る。
何を、と言おうと顔を上げたクリスの眼前で、黄色が輝く。
黄色、黒、そして、青。
抗議の声を発しようとした半開きの口へ、飴玉が押し込まれる。
そして唇を塞ぐように、黒手袋の指が優しく押さえてくる。
「飴玉ってのは口に入れるもんだ」
にい、と青が笑む。
「それを目を輝かせて眺めてる奴なんざ、俺達の世界には一人もいねえよ」
ふ、と唇から指が離れる。
クリスの口元に触れた自らの指先へ軽く口づけした後、その手を軽く上げて「じゃあな」と中也は去って行った。
颯爽としたその後ろ姿を呆然と見送る。
――口の中の飴玉が、甘酸っぱい。
「……檸檬味だ」
舌の上にそれを転がす。
べたつく甘さが口内に広がり、心を穏やかにしてくれる。
しばらくそれを味わった後、クリスは改めて中也が去って行った廊下の先を見つめた。
そっと唇を指で押さえる。
「……中原さんが敵で良かった」
あれが味方だったとしたら、とんでもない人だ。
「……敵で、良かったなあ」
そっと呟く。
吐息はすでに、甘酸っぱい味に変わっていた。
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「飴玉の向こうに映る青」end.