第2幕

□崖に咲く一輪は美しく
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この後、時間になるまで二人は話し込んだ。

国木田が口にするのは主に同僚のマイペース極まりない行動の数々だ。
太宰は最も著しいが、他の社員もなかなかの強者で、国木田はよく振り回される。

国木田の話を彼女は楽しげに聞いた。
たまに自らの仕事環境について話してくれることもある。
劇団員とは仲良くできており、毎日が楽しいのだと彼女は笑った。


「そういえば、ご家族は?」


国木田が不意に訊ねたのは、彼女が一人暮らしだという話をした時だった。


「家族ですか?」

「失礼ながら、あなたはまだ未成年と聞いた。共にこの街に来ていないとなれば、ご家族は心配されているのではと思ってな」

「そうですね……とは言っても家族はいませんから……心配はされていないと思います」


考え込むように少女は言う。
しまったか、と国木田はその顔色を覗き見た。
触れてはいけない箇所に触れてしまったのかもしれない。

人には誰しも、訊ねられたくないことがある。
それは過去であったり、現在であったり、身の回りであったりと様々だ。

しかし国木田が見たのは、真剣に考え込む少女の横顔だった。


「……うん、きっとそう……あの人達はわたしを可愛がってはくれましたけど、心配まではしないと思いますよ」


家族はいない、そう彼女は先程言った。
死別か離別か、良くないことがあったのだと思ったのだが。

少女の口振りはまるで、その存在そのものがこの世にないかのような。


「あの人達の仕事は、わたし達を養うことでしたから」

「……仕事?」


家族とは仕事なのか。
否、と国木田は自分で答えを返す。

家族とは支え合うものだ。
家族とはそばに寄り添うものだ。
何があってもただ唯一帰ることの許された場所のことだ。
そこに血縁関係の有無は関与しない。

そして、仕事などというような、金銭で繋がる絆のことでもない。

どういう意味かと問おうとした口を強引に閉ざす。

これは聞いてはいけないことなのだ。
人の心の中に踏み入ることは、限られた人にしか許されてはいない。

国木田は、彼女にとってそのような存在ではないのだから。


「国木田さん?」


押し黙った国木田に、少女は名を呼びながら顔を向ける。
少女の横顔を凝視していた国木田と、緑を孕んだ青の目がかち合う。

真正面から、その不思議な色合いの眼差しが国木田を覗き込んでくる。

美しい湖畔を思わせた。


「……いや、何でもない」


目を逸らしたのは気まずさからか。
それともその眼差しから逃れるためか。
自分でもわからない。


「ああそうだ、国木田さん」


何事もなかったかのように話し始めた彼女に安堵しつつ、国木田は「何だ」と訊ねる。


「今度、新作を発表するんです」

「新作か」

「ええ。今度は喜劇ですよ。魔法と恋の入り混じるドタバタコメディーです」


現在上演されている話は、敵同士の家柄の男女が惹かれ合い、死によってその恋を成就させる悲劇だ。
方向性が全く違う。


「意外だな」

「ふふっ、わたしもそう思います。もし良かったら、また観に来てもらえませんか」


少女がこちらを覗き込み、微笑む。
その表情に暗いものはない。
家族はいない、と言っていたのをふと思い出す。

彼女は逞しい。
一人で異国を渡り歩き、一人でその実力を発揮できる場所へ辿り着き、一人で舞台の中央で喝采を浴び続けている。

先日の誘拐事件の際など、彼女は動画の中で取り乱すこともなく犯人の要求を代弁していた。
その言葉の中に、自らが殺されるという予定が含まれていたというのに。

普通、どうするだろうか。
助けてください、と叫んでいただろう。
どうにかして逃げようと暴れていたかもしれない。
もしくは、恐怖に身を呑まれてただただ泣き崩れていたかもしれない。

そのいずれも、彼女はしなかった。


――そんなことより、どうして来たんですか。


救出に現れた国木田へ、彼女はそう言った。
なぜ来たのか、と。
助けて、とも、ありがとう、とも、彼女は言わず、ただ、国木田が現場に来た理由を純粋に問うてきていた。

太宰のケータイを使って自分の居場所を知らせてきたというのに、彼女は、救出を期待していなかったのだ。

ただ、周囲の被害を考えて、そのためだけに国木田に居場所を知らせた。
ぞっとするほどの、冷静で利他的な思考。

人はそれを強さと呼ぶ。

この少女は、今まで何を経験し、その強さを手に入れてしまったのだろう。


「……ああ、観に来よう」


少女が笑う。
楽しげに、嬉しげに。

この少女を喜ばせるきっかけになるのなら、この会合も悪くはないのかもしれない。
そう思った。




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