第2幕

□潜入
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外は晴れ、人々は楽しげに往来している。
しかし風は、クリスの心をさらに冷やそうとしているかのように冷たい。
脚本を近くの商店街のコインロッカーに預け、クリスは指定された場所へと急ぐ。

大通りを逸れて細い道へ。
複雑に折れ曲がったその道をしばらく道なりに行けば、古めかしい骨董店がある。

その前を通り抜け、さらに奥へ。
しばらくすれば景色は、倉庫が立ち並ぶ人気のない海岸沿いに変わる。

倉庫と倉庫の間から見えるのは、街を見下ろしその威厳を形にしたかのような高いビル――ポートマフィアの本拠地だ。

鋼を思わせるそのビルを背に、手紙を寄越した男は佇んでいる。

クリスの来訪に合わせ、男は暗がりから姿を現した。
黒衣が男の輪郭を闇に溶け込ませる。


「来たか」

「こんなに素敵なファンレターをいただいてしまっては、来ないわけには行かなかったからね」


ポケットから封筒を出し、クリスは肩を竦める。

「『至急指定の場所へ。さもなくば迎えに伺いたく候』……簡潔でわかりやすい。わざわざここに来たのだから、わたしはもう帰っても良いということかな? 芥川さん」

「要求に応じたならば」


咳をしつつそう答え、芥川はクリスを睥睨する。
彼の背後からたくさんの視線を感じるのは、部下を控えさせているからだろう。

彼の命令一つで、銃弾がこの場を飛び交う。


「それは手紙には書かれていなかった」


困ったなあ、とクリスは手紙を人差し指と中指で挟んでヒラヒラと振る。


「そして君の要求というのは、抵抗なしに手枷をはめてついて来いというものだ、そうだろう?」

「然り。これはボスからの直々の命」


今回は異能力をすぐに行使するようなことはしないらしい。
芥川は落ち着いた様子で話している。
しかし聞き捨てならない。
首領の命と言ったか。


「……なぜ」

「探偵社に出入りする人間はリストアップされている」


やはりそこからか。
大方、この芥川がご丁寧に報告した線も否めないが。


「つまりわたしは探偵社の人質か」

「左様――来い、女」


部下の数人がこちらに駆け寄り、銃を構えて取り囲む。
従わなければ銃殺されるのだろうか。
ポートマフィアの首領たる人が、生きて連れて来いという命令をこの殺戮に適した芥川という男に下すとは思えない。

探られているのだろう。
クリスの実力を、ポートマフィアの首領殿に。
姿の見えない敵に見られている不快感。
 

「……君達の目的は虎の異能力者か」

「……やはり人虎を知るか」

「なぜ」

「貴様に答える必要はない。来い、と言っている。来ぬならば――力尽くで連れて行くまで!」


クリスを取り囲む銃が火花を灯す。
全方位からの銃撃。
逃げ切ることはできる、しかしそうするのならば手は抜けない。
彼らに自分の実力を見せることになる。

クリスは目を閉じる。
そちらがその気なら手加減はしない、できない。

風がクリスの髪の先を揺らす。


――銃声は一つも鳴らなかった。


代わりに倉庫街に木霊するのは、男達の恐怖に震えた叫び声。


「うわあああッ」

「な、何だッ!」


立ったまま微動だにしていないクリスの周りに風が吹いている。
そして彼女の周りには、己の銃を失った男達が、自身の手を抱えて次々と蹲っていた。

彼らの手から、とめどなく血が溢れ出て地面に広がっていく。
その手に握られていたはずの銃も、先程まで銃を握っていた手も、どこにもない。


「な、に……?」


芥川が声を漏らす。


「手が、全員……!」


そう、今地面で呻いている彼らの右手は、跡形もなくなくなっている。
生々しく露出した手首の断面から彼らの血が溢れているのだった。


「言ったはずだよ、芥川さん」


クリスは目を開ける。
風が巻き起こり、光を反射する刃のような鋭い一線がクリスの手元にいくつも走る。

流れ星のように時折、瞬時に煌めくその輝きは、その手に掲げられていた手紙をみるみるうちに粉々にしていく。

それは風化とは違う。
切り刻み、さらに切り刻み、人の目に映らないほどに細かく切り刻んだ末路だ。


「わたしに何もするな、と。……それでも手を出してきたということは、こちらもそれなりの応対を許可されたと見て良いのだろうね」


芥川が一歩後ずさる。
完全に切り刻まれ宙に溶けていった手紙を綿毛のように優しく手放し、クリスは笑みを穏やかに浮かべた。




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