第2幕

□少女、来航
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「で、ここに来たと」


パソコン機器に周囲を囲まれた男は、ようやく顔を上げてクリスを見た。
ぱさぱさの短髪のせいか青年にも中年にも見える風貌の彼は、やる気のない様子で耳を掻く。


「うちはそこらの情報屋とわけが違うんだけどな。どうやって嗅ぎつけたわけ?」

「内緒」


軽やかに言い、クリスは腰の後ろに回していたウエストポーチから機器をいくつか出した。
ほとんどが他人のケータイだ。
それらを、この薄暗い地下室の主へと差し出す。


「これ、いくらになるかな」

「おいおい、五つもどこから手に入れてきたんだよ?」

「ここに来る前に中心街へ行ったら、スリをしている人がいたからその人から一つ。ついでにその人の財布ももらっておいた。あとは路上で子供を囲んでたおじさん達がいたから財布と一緒にもらってきたよ」

「もらってきた、ねえ……」

「勘違いしないで欲しいんだけど、ちゃんとした手段でお金は稼いでるからね? この街、路上で歌うだけでも宿代が稼げるから楽で良いね。たまにホテルとかに連れ込もうとしてくる人がいるけど弱いし」

「はいはい」


何か言いたげにしつつ、情報屋はそれらを受け取った。
そして一通り中を確認し、大きくため息をつく。
クリスは待ちかねる子供のように体を揺らしながら訊ねた。


「百? 二百?」

「十」

「そっか十か……それって単位は万ドルで良い?」

「万円だ、ここは日本だからね」

「そんなに少ないの?」


驚くクリスに、何言ってるんだか、と情報屋が肩をすくめる。


「うちはそこらとわけが違う。一般人の個人情報なんざ他を当たった方が高いけど?」

「……君以外の情報屋を知らない」


不満げに言ったクリスへ、情報屋は再びため息をつく。
そして机の上から本や機材を押しのけ、何かを探し始めた。
ドサドサといろんなものが床に落ちていく。
そんな扱いでは、本はともかく機械は壊れるんじゃなかろうか。

そんな心配をそっちのけに、情報屋はお札のような大きさをした白い紙束を引っ張り出した。
小切手だ。

情報屋がそれに何かを書き込み、手渡してくる。


「はい」

「……これが報酬ってことか」


ちらと見れば、五十万円という数字が記入されている。
ここの情報屋は小切手で金をやり取りしているらしい。
それほどに扱っている情報の金額が大きいのだ。

何せ、彼は世界的な情報収集組織の一員である。


「ちなみに、何でここを知ってたわけ?」

「二十?」


すかさず訊ねたクリスに、少し黙ってから情報屋は渋々答える。


「……十二」


答えるだけで十二万円。
これは良い取引だ。


「うんうん、そう言ってくれると思ったよ。裏社会の情報屋にとってその手の情報は何が何でも欲しいからね。でも、どこかから漏れたとかそういうのじゃないから安心してよ。前にいた国の……その前の国だったかな? 忘れたけど、とにかく情報屋から情報を買ったんだ」

「どこの国?」

「それは教えられない」

「……まあ良いよ、それで十分」


二枚目の小切手を受け取ったクリスへ、情報屋は虫を避けるように手のひらを振った。
これ以上ここにいても取引には応じてくれないらしい。
余計な情報を渡されることを避けるための、情報屋特有の自己防衛方法だ。

素直に従い、クリスは部屋を後にする。
唯一の出入り口である扉の先には、薄暗い階段があった。
塗装されていないコンクリートの灰色が、ひやりとした空気を作り出している。

その階段を上がっていくと、やがて扉が見えてきた。
その扉の手前には、この階段を誤魔化すようにビール瓶やダンボールが積まれている。
それらの山を崩さないように掻きわけ、扉を開けた。

穏やかな照明が暗がりから上がっていた目を刺激する。
わずかに目を細めつつ、クリスは扉の先へと足を踏み出した。
上品な床に足を付ける。

地下室の上にはバーがあった。
六人ほどが座れるカウンターだけが客席として準備されている。
その奥では一人粛々と手を動かしている店主の紳士がいた。
彼の背後の棚に並ぶグラスが照明を反射している。

"private room"と金字で書かれた扉を閉じ、クリスはカウンター席の一つに腰掛けた。
店主が軽く頭を下げてくる。
今は昼だ、アルコールは気分ではない。
ジュース代程度の小銭を置けば、物わかりの良い店主はすぐにグラスを差し出してきた。

鮮やかなオレンジ色の液体に浮かぶ氷。
持ち上げればそれはカランと涼しげな音を立てた。

口をつけ、くいと傾ける。
見た目と同じ明るい色の香りが舌の上にへばりつく。


「……悪くない」


この街はちょうど良い。
グラスの中の氷を回しつつ、思う。

裏社会の人間とすぐに接触できる街。
それでいて、一般人が普通に過ごせる街。
犯罪はそれなりに跋扈しているが、秩序は乱れすぎず、治安は悪いというほどではない。

これほどバランスの取れた街はそうそうないだろう。

加えて、飲み物もパフェもクレープもステーキも美味しい。

先程街中で食べたものを思い出し、クリスは思わず笑みを零した。
食べ物が安全で美味しい、それは何よりも最高だ。

――それが趣味以上の意味をなさなかったとしても。

グラスの中身を飲み干し、店を後にする。
扉を開閉した瞬間に鳴り響くベルが、心地良い響きを奏でた。


「……昼過ぎくらいかな」


空を見上げる。
太陽の位置が高い。
中心街から少し離れたここは、店よりも住宅の方が多かった。
そのせいか中心街よりも空が広く見える。

砂埃の欠片もない空色に、目を細める。

小鳥が一直線に飛んでいく。
遠くから車のエンジン音が聞こえてくるだけで、話し声も、轟音も、何もない。
以前の国は紛争地だったからか、この街は異常なほどに静かだ。

その静けさの裏には、銃声の耐えない夜があるのだろうが。

用も済んだので、散歩がてら中心地を目指すことにした。
この街にしばらく住むことになる以上、大体の地形や道を把握しておきたい。
そう思いながらゆったりと歩いた先に川が見えた。

整備された、大きくはない川だ。
川岸は子供達が駆け回れるようになのか芝生が植えられ、湾曲部はコンクリートで護岸されている。

ふと思い至って、足元の石を拾い上げた。
そしてそれを川へ投げ入れる。

ぽちゃん。


「……あまり深くないんだ」


音を聞き、一人呟く。
そして今度は川沿いを歩くことにした。
ちょうど土手の上が舗装されている。
自転車や人が使うための道路だろうが、車も一台程度なら通れそうだった。
その上へと繋がる階段を上がり、見晴らしの良い景色を楽しみながら土手の上を歩いていく。

静かだった。
目の前に騒然とした高層ビルの街並みが見えているというのに、港街から遠く離れた田舎を歩いているかのように思わせる。
これもまた、このヨコハマという街の特徴なのだろう。

華やかさと落ち着きを持ち合わせた、犯罪と安寧の入り混じる街。


「……ここなら」


ここなら、きっと。

きっと、奴は来ない。


「……ん?」


ふと、クリスは立ち止まった。
土手と川の間、岸に人だかりがある。
とはいっても地元の子供が数人、といったところだ。

彼らは何かを取り囲んでいた。
そのうちの何人かは木の枝でそれをつついている。

ちょっとした興味で彼らの足元を見――息を呑んだ。


「人……?」


一瞬だけ見えたそれは、人の腕に違いなかった。

川辺に、人。

急ぎ土手の斜面を飛び降りる。
妙な胸騒ぎがした。





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