第2幕

□少女、来航
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突然現れたクリスに、子供達は驚いたように一斉に顔を向けてきた。
その視線を気にすることなく、クリスはそれを見下ろす。


「……見間違いじゃなかった」


子供達が囲んでいたのは人間だった。
俯せているが、若い男のようだ。

癖のある黒髪に、茶色のコート。
手首まで包帯に覆われ、首にも包帯を巻いている。

あまりに特徴的すぎる格好だった。
鑑識を呼ばずとも身元がわかるに違いない。
むしろ特徴を箇条書きにしてポスターを作れば一日もかからずに情報が入ってきそうだ。

しかしそれほどのわかりやすさにも関わらず、子供達の反応は顔見知りに向けるものとは違う。
知り合いというわけではないようだった。
とすると、地元の人間ではないのか。

かろうじて露出した手を見る限り、水死したにしては時間が経っていない。
さすがに水死体は見慣れていなかったので良かった。


「……警察、かな」


まさか来国早々警察と関わることになるとは思わなかった。
後ろ手でウエストポーチからケータイを取り出す。


「……この国の警察って何番だっけ」


九一一、ではない。
九九九、違う。
一一〇、でもない。
いや、この国も一一〇だったか。

などと考えていた時だった。


――ブーッ、ブーッ。


突然のバイブ音にその場にいた全員がびくりと反応する。


「電話……」


子供の誰かが呟く。
そうだ、電話だ。鳴り止まないその音は明らかに通話を望む音だった。
しかし、どこから。

それを知るまで時間はかからなかった。
というのも、音は倒れている男のコートから聞こえてきていたからだ。

タイミングが悪い。
悪すぎる。
ちらと見れば、子供達は全員クリスを見上げてきていた。

電話に出ろと言いたいらしい。
死んでいるのか生きているのかわからない身元不明の男にかかってきた電話など、誰だって出たくはない。

クリスもまた、子供達をじっと見つめた。
沈黙の中、バイブ音だけが鳴り続けている。


「……わかったよ」


無言の圧力に負け、クリスはこめかみに手を当てた。
子供が他人の電話に出るのは酷なのだろう、子供達の目に不安がよぎり始めたからだ。
この程度で屈してしまったのは、相手がただの子供だったからだろうか。

そろ、と濡れそぼったコートを摘むようにめくり、手を差し入れる。
ケータイはすぐに取り出せた。
手の上で震え続けているそれを眺める。

音が絶える様子はない。
壊れているわけではない。
もはや”早く出ろ”と言わんばかりの威圧さえ感じる。

というか、とクリスは倒れている男へと目を移した。

彼はこの川で溺れたのだろうか。
大の大人が溺れるほどの深さではない。
溺れさせられたのなら話は別だが、ケータイは防水性だ、まるでこの事態を想定していたかのよう。

画面に映し出された人の名を読む。


「……国木田、独歩」


ケータイは未だに鳴っている。
ため息を一つつき、クリスは受話器マークを押下して耳に当てた。


「お待たせしてすみませ」

『や――っと出たかこの歩く包帯置き場ァ!』

「いッ……!」


突然の怒声に思わず耳を離す。


『何度電話したと思っている! これでまた俺の予定が狂ったではないかッ!』

「あ、あの」

『出社の時間はとうに過ぎている! とにかく早く探偵社に来い!』

「ハロー、聞こえてます?」

『貴様には常識というものが足りん! 良いか常識というのはまず第一に色のおかしい雑草を口に入れないこと第二に良い縄を見つけても拾ってこないこと第三に』


駄目だ、聞こえていない。


『だいたい貴様はなぜいつもそうやって』

「お話の途中すみません、少々声の大きさを下げていただけますか国木田独歩さん!」


少し声を張り上げる。
すると相手の演説がフッと止み、静かな声が聞こえてきた。


『……太宰ではないな? 誰だ』

「通りすがりの者です。このケータイの持ち主は川辺で倒れています」

『……あの自殺好きめ……』


自殺好き、と聞こえたのは聞き間違いだろうか。
聞き間違いということにして、クリスは話を続ける。


「生死は確認していませんが、今から警察を呼ぼうと思っていて」

『いや、その必要はない。そいつは死んでいないでしょう』

「……え」


死んでいたら今まで苦労していない、と謎の根拠で断言され、クリスは返す言葉をなくした。
連絡が取れなかったというのに川辺で倒れていても心配されない、ということは、前科があるのだろうか。
妙なことに首を突っ込んでしまったかもしれない。


『そちらまで迎えに行く。場所を教えてもらえるだろうか』

「ああ、えっと、わたしもこの街に来たばかりなので詳しくはなくて……そうだ」


ケータイから耳を離し、クリスは足元を見遣った。
クリスが電話し始めたのを見た子供達が、再び枝で男をつつき始めている。
中にはコートをめくっている子供もいる。
そんなに面白いのだろうか、身元不明の男で遊ぶのは。

子供達から大体の住所を聞き出し、川辺であること、近くの土手を車が通れることなどを伝える。
これでおおよその位置が特定できたらしい、大きなため息が聞こえてきた後、わかった、と責任感のありそうなしっかりした声が言う。


『これから向かう。迷惑をかけて申し訳ない』

「はあ……じゃあよろしくお願いします……?」


話の流れでこの男を頼む形になってしまったが、彼とは面識もない。
ぶつり、と通話が切れた音を聞き、ケータイから耳を離してそれをぼんやりと眺めた。
どうしてこうなったのかと思案する。

確か、川辺で倒れている男を見つけた。
そこに駆けつけたら男のケータイが鳴った。
しかたなく出たら、男の同僚に男を頼むことになった。
なるほど、わけがわからない。


――出社の時間はとうに過ぎている! とにかく早く探偵社に来い!


ふと、電話口で聞いた怒声を思い出した。


「探偵社……」


ということは、この男は探偵なのだろうか。


「……探偵、ね」


すでに暗くなったケータイ画面を見ながら考え込む。
そしてクリスは、それを自らのポケットへ突っ込んだ。





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