第2幕

□少女、来航
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月が出ていた。

朧な光は、夜空という黒一色の布地に一点の穴を開けていた。
その明かりの下で、格子状に整然と並んだ屋根が輝いている。

港街の外れ、背の高い鋼色のビルが近くにそびえる倉庫街。
海風が屋根の間を吹き抜け、太宰のコートを広げる。


「さて、犯人のお出ましのようだよ、国木田君」

「ふん」


眼鏡を押し上げ、国木田は周囲を取り込んできた男達を睨め付けた。


「大人しく捕まってもらおうか――【独歩吟客】!」


破り取った手帳のページが、閃光弾に変じる。
国木田がそれを男達へと投げつける。
閃光が爆ぜる。

その光が倉庫街の一角に爆ぜるのを見、クリスは目を細めた。


「……始まったか」


銃撃戦を近くの倉庫の屋根の上から見下ろす。
夜風が潮と硝煙の混ざった臭いを連れてくる。

二人が川辺から去った後、ホテルへと戻り、太宰のケータイを解析した。
情報をまとめたついでに、武装探偵社の社員について調べていたわけだが。


「ちょうど良かった。仕事の様子を間近で見られるなんて」


太宰の靴底に発信器を、国木田の服のポケットに盗聴器を仕込んである。
彼らの異能力の詳細を調べるには高度なセキュリティを突破する必要があり、その処理を行っている時間を利用して国木田達の仕事振りを見に来たのだ。


「国木田って人のは物質生成か。でもちょっと苦戦してるみたいだから、生成できる物に制限があるのかな……生成方法は手帳の紙? ちょっと珍しいな」


国木田の戦闘スタイルは手帳からの生成物質を用いた爆撃の他、体術も得意とするらしい。
近距離も遠距離もできるとは、戦い慣れている。

対して、とクリスはもう一人の探偵社員へと目を移した。


「くぉ――ら太宰ぃ! 貴様も戦わんかあ!」

「まあまあ落ち着きたまえよ国木田君」


倉庫街を駆け回りながら国木田が怒鳴る。
様々な武器を駆使しつつ敵を確実に倒していく国木田とは対照的に、太宰は彼の後ろで「そこだ!」だの「チャンスだよ国木田君!」だのと声をかけているだけで、戦闘に加担する気配もない。


「落ち着けるか馬鹿者! 同僚が全く仕事をしないなどというのはあってはならんだろうが!」

「人には適材適所というのがあるのだよ? 今ここにいるのは全員が一般人、私の異能力は彼らに対しては全く使い物にならない」

「異能力で戦えとは言っていないだろうが! 拳銃の一つくらい持て! せめて貴様が無駄に消費している医療用具の予算分は働かんか!」

「えー。私が手伝わなくてもこの程度、どうということもないでしょ? ほらほら、折角の出番なんだからもっと出張っちゃってよ国木田君」

「いつも出番がないかのように言うな!」


言い合いながらも、国木田は確実に敵の頭数を減らしていく。
周囲を囲まれているというのに、時には拳銃で、時には体術で対処していくその腕の良さは目を瞠る。

太宰も口では飄々と国木田を煽ってはいるものの、向かってくる敵の攻撃を軽やかによけている辺り、完全に足手まといというわけではないようだ。
むしろ国木田の攻撃の間合いをも読み切り、その動きの邪魔にならない位置に常にいる。
敵の動きだけでなく味方の動きも把握し、予測するその頭脳。

これが武装探偵社の社員の実力か。


「二人で受けた仕事を一人で片付けねばならん気持ちが貴様にわかるか! 仕事というのはあらかじめ担当者の技量を量って予定を組むのだ、俺の予定ではこの仕事は二分十三秒前に終わっている!」

「そういえば国木田君、私とても大切なことを思い出したのだけれど」

「ああ? 何だ」

「昼間川辺で寝ていた時にケータイをなくしたみたいなのだよ」

「今この時言う話かそれは!」


国木田のもっともな突っ込みに、太宰は神妙な顔で「困ったなあ」と返す。
先程までへらりとしていた男の表情の変化に、さすがの国木田も何かを思ったらしい、弾を装填しつつ「何だ」と先を促す。


「あのケータイにはとーっても大事なデータを入れていたのだよ。どこぞの誰かに拾われて中を見られでもしたらどうなるか」


盗聴器から聞こえてきた音声に、クリスは眉を上げた。


「……データ?」


そんなものは入っていなかった。
あれに入っていたのは連絡先だけだ、太宰が言うようなものは一切確認していない。

クリスの戸惑いをよそに、二人の応酬は進んで行く。


「そんなものを入れていた貴様が悪い」

「国木田君のあれやそれやが世間に知れ渡るのも時間の問題だねえ」

「待て貴様俺の何のデータを入れていた!」

「私に言わせるのかい? 厭らしいなあ」

「どういうことだ答えろ太宰!」


――わかった。


これは、太宰の嘘だ。
それも、国木田の反応を楽しむための。


「……この二人で大丈夫なのかな」


他人事ながら、国木田が憐れに思えてくる。
しかし、そうこうしているうちに彼らの周囲を取り囲んでいた男達は皆地面に突っ伏していた。

相性はともあれ、実力は十分だろう。
あれほどの実力なら、とクリスは目を細めて彼らを見下ろす。


「……利用できる」


逃げ続けるためには資金がいる。
それは正規の方法で稼ぐには時間も労力も足りない額。
それに追われている身である以上、表の顔と裏の顔を使い分け、世間を騙す必要があった。

彼らは使える。
彼らを騙せば、この街でしばらくはあの男とあの国から身を隠して生きていける。

それにしても、とクリスは仕事を終えた二人を見下ろした。
国木田のことは大体把握できたが、太宰に関しては全くと言って良いほど何もわからなかった。
靴底に発信器をつけたままにしておくのは危険かもしれない。


「消しておくか」


少々距離があるが、対象が小さな発信器と盗聴器だ、大した負荷にはならないだろう。
手を伸ばし、名を呼ぶように唱える。


「【マクベス】」


蛍を思わせる微かな光が国木田のポケットの中に生じる。
その光は二人が気付く間もなく、そこに潜ませた機器を包み、そして消し去る。
まずは一つ。

次に、とクリスは太宰へと同じ光を向けた。


――しかし。


光は太宰に触れると同時に失せた。


「……え?」


一瞬思考が止まる。
異能力【マクベス】は物質の定義を変える力だ。
それを使って発信器を「太宰の靴底に存在するもの」から「太宰の靴底に存在しないもの」へと変えようとしたのだが。


「異能が……効かない?」


まさか、とクリスは息を呑む。

確かめる必要があった。


「【テンペスト】……!」


違う名を呼べば、クリスの指先に風が集まってくる。
海風の臭いのしないそれは、クリスの意志に従って太宰達へと駆けた。

細く鋭く宙を走るその風は刃の如く――鎌鼬の如く、銀色の輝きを有して対象を切り刻む。


「くッ……?」


国木田の腕から線状に血が飛ぶ。
刃物で切られたかのような痛みに、国木田は腕を押さえて周囲を見回す。
敵の襲撃だと思ったのだろう。
しかし彼の周囲の人間はことごとく倒れ伏している。


「何だ、今のは……!」


呻く国木田に、太宰は答えない。
自身の腕を見つめている。

そこに傷は――ない。

はっきりと、見た。
鎌鼬が太宰に触れると同時に、銀色が消失したのを。

クリスは足元に風を呼んだ。
渦を巻いたそれはクリスの跳躍と共にその体を上空高くへと押し上げる。
突風を利用した移動だ。

素早くその場を去り、遠く離れた電柱の上へと降り立つ。
腰の後ろのウエストポーチから伸縮性の望遠鏡を取り出し、それを伸ばして目に当てた。

予想通り、太宰がクリスのいた屋根の上を見上げている。
勘づかれたか。
直感的にその場を離れた自分に感謝しつつ、クリスは望遠鏡を下げる。

異能力無効化。

希有な力だ。
それをあの男は有している。
異能力者相手では絶対有利な、異能。
敵に回すのは厄介だ。


「……太宰、か」


呟き、目を細める。
声は夜風に乗って、霧散した。




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