第1幕

□非凡なる異常
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支配人と挨拶を終え、三人は劇場内を案内してもらっていた。


「こちらが観客席になります」


支配人が重い扉を開けて中へとフィッツジェラルドを誘導する。
差し出された手のひらに従い、三人はその扉の奥へと足を踏み入れた。

照明のついていない広い空間に、上品な緋色の椅子が整然と並んでいる。
その椅子達が向いている先に、広い舞台はあった。
幕は上がっており、円形の明かりがその床を照らしている。


「ここで上演を行っています。日程は月によって違いますが、ほぼ毎日何かしらを上演していますよ」


通路を歩いて舞台へと歩み寄りながら、人の良さそうなふくよかな男性がにこにことフィッツジェラルドへ言う。
ここを訪れた理由はクリスのためだったのだが、支配人は常にフィッツジェラルドへと話しかけている。

それは仕方のないことだ、彼にとってこの成金男は何よりも優先すべき客なのだから。
そして支配人のその対応に不満を持つ人間は、ここにはいなかった。

話し込む二人をよそに、クリスがふらりと舞台へと歩み寄る。
憧れ続けてきたものが眼前にあるかのように、彼女は呆然とそちらへと歩み寄る。

彼女は舞台というものを見たことがないと、先程車の中で聞いた。
舞台という場所も、舞台という芸術作品も、見たことがないのだという。
けれどこの反応、全く知らなかったというわけでもなさそうだ。


「興味があるの?」


突然広い空間に響き渡った声は朗々としていた。
カツ、と遠くから良く響く靴音が聞こえてくる。
それは舞台の奥から聞こえてきた。
クリスが驚いたようにそちらを見上げる。

舞台袖から、女性が現れた。
小麦色の肌が似合う背の高い女性だ。
長い黒髪を後ろで束ね、すらりとした体の線を強調するかのようにぴったりとしたシャツとパンツを着こなしている。


「先程支配人から聞いた、新人さんね? 役者志望? 裏方でも手が足りてないから大歓迎だけど」

「おいおいコーディリア、勝手に話を進めないでくれ」


支配人が困ったように女性へと声をかける。


「どんなに君が優秀な女優だとしても、君には人を採用する決定権はないんだぞ?」

「けど、私が彼女を評価したら、参考にしてくれるんでしょう?」

「そりゃそうだけど……」

「新人には興味があるの。ちょっとお嬢さん、こっちにいらっしゃい」


支配人をあしらい、コーディリアと呼ばれた女性がクリスへと手招きする。
突然のことに、呼ばれた少女はというと舞台の上の女性を見上げて立ち尽くしていた。
しばらくして、え、と声を漏らす。


「……わたし?」

「この場にお嬢さんはあなたしかいないわよ。そうでしょう?」

「……お嬢さん……」

「男の子だったのならごめんなさいね、見た目で判断してしまって」

「えっと、そうじゃなくて」


わたわたとクリスが両手を広げる。
慌てる彼女は珍しい。
ほう、と様子を見守る男性陣を横目に、クリスは何かを思うように視線を逸らした。


「……そういう呼ばれ方は、初めてだったから」


その言葉には、穏やかな声音が含まれていた。
思わずほっと息をつく。
彼女は他の人より感情の起伏がわかりづらい。
こうして他の人と普通に話している様子を見ることができたのは収穫だったかもしれない。


「そう。どこから見ても可愛らしいお嬢さんだけどね」

「え、えっと……」

「男前な女性だな、支配人」


フィッツジェラルドが支配人へと笑みを向ける。
支配人はというと困ったように頭を掻いて薄い笑い声を上げた。


「はあ……まあ、男性役もこなす、うちの看板役者ですから」

「ほう」

「彼女に惚れる女性ファンは多いですよ」


少し自慢気に支配人が言った。
それを聞いてコーディリアは「あんたも私に惚れてみる?」などと巫山戯てみせる。
赤い口紅が照明に映えた。

それに対しフィッツジェラルドはというと「あいにく俺には愛する家族が既にいるのでな」などとさらりと言ってみせる。
違う世界に紛れ込んでしまったかのような居心地の悪さに、スタインベックは支配人と目を会わせて苦笑した。


「良い上司ね、お嬢さん。名前は?」


名前、とクリスが呟く。
そして、少し俯き、けれどすぐに顔を上げた。


「……クリス・マーロウ」


その軽やかな声が己の名を告げる。
先程与えられた、己の名を。


「良い名ね」


コーディリアが笑う。


「クリス、その階段を上がってこちらに来なさいな。ちょっとしたテストよ」

「テスト?」

「あなたの実力を見せてもらうわ」


コーディリアは悠然と舞台の上でクリスを待っている。
クリスは困ったようにフィッツジェラルドを見遣った。
彼女を歌手に、などと言っていた男はというと面白げに顎で舞台を指す。


「行け」


その言葉に決心がついたようだった。
クリスが舞台への階段を上がっていく。
その姿を見ながら、スタインベックはこそりと上司へ囁いた。


「……フィッツジェラルドさん、良いんです? 彼女、演技が何かも知らないんじゃ」

「その時はその時だろう。彼女は感情の表現が薄い。ギルドに限らず、世間を生き抜くには誤魔化しや演技も必要だ。間近に役者を見ることができるこの環境は、彼女にはちょうど良い稽古場になるだろう。最悪受付嬢でも構わんよ」


フィッツジェラルドが見つめる先で、クリスはコーディリアから本を手渡され説明を受けている。
台本だろうか。


「……彼女をどのように育て上げるつもりです?」

「少なくとも、ギルドの戦力の一つにはする」


簡潔に答え、フィッツジェラルドは目を細める。


「……クリスを利用されないためには、クリス自身が自分を利用できるようにならなくてはな」

「――じゃあやってみましょう」


コーディリアの張りのある声が響き渡る。
軽やかな足取りで階段を降り、コーディリアはフィッツジェラルドらのそばへと駆け寄った。

くるりと舞台へ向き直り、一人広いそこに立ちすくんだ少女へと片手を上げる。


「好きなタイミングで良いわよ。動きも好きにやって。それ全部を見て、あなたのふさわしいポジションを決めるから」

「いきなり難題だな、コーディリア」


支配人の囁きに彼女はウインクを返す。


「このくらいが良いのよ。演技ができる子なら、動きや声に感情を乗せようとするわ。それができなくても、例えば、どこに立てば一番自分が映えるかを考えられるか、小道具や照明を最大限に利用できるか……見るのはそこよ。上手い下手は関係ないの、台本を読んで、どのように行動するかを見るのが目的」


なるほど、とスタインベックは舞台へと目を戻す。
突然舞台で一人きりになったクリスは、台本を手に戸惑ったようにこちらを見ていた。

彼女はどうするだろう。






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