第1幕
□非凡なる異常
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劇場からの帰還後、フィッツジェラルドに部屋へ呼び出された。
初めて二人きりで向き合う男は、夕日を背に机上へ肘をついてこちらを見据えている。
「良かったな、クリス。働き口が見つかって」
「……用は何?」
「ちょっとした対話だ。そう気を張る必要はない」
言い、フィッツジェラルドは片手を広げて肩をすくめてみせる。
そのわざとらしい仕草を、黙って見つめた。
こちらの意図がわかってか、それとも単に話したかっただけなのか、フィッツジェラルドは「さて」と再び笑みを向けてくる。
「君に大切なものはあるか」
「……大切な、もの」
「俺にとって何よりも大切なものは家族だ。家族のためなら俺はどんなことでもする。君には何がある、クリス」
「……何もないわけじゃない。けど、口にするには曖昧すぎる」
「堅実な答えだ」
フィッツジェラルドが満足そうに言う。
けれど、その笑みの奥には鋭いものが潜んでいた。
何かを企んでいることは確かだ。
「今回の就職を機に、君を正式にギルドのメンバーとして迎える」
切っ先を思わせる男が、口端を釣り上げてこちらを見ている。
「よって君の全てが俺のものだ」
「言っている意味がわからない」
「全てだよ、クリス」
名を呼ぶ声は流れるように艶やかで、脅しをかけるように低い。
「――君の命、異能、全てだ」
心臓が音を立てた。
「……ッ」
――生きて、生き続けて、お前が実験体だったことも、実験成果であることも、全部隠し通して逃げ続けるんだ。
死ぬな、と声が聞こえてくる。
知られるな、とその声は言う。
「……駄目」
駄目だ。
これだけは、駄目だ。
この命も、異能も。
どうしてかはわからない。
理由は知らない。
それを守りきらなければどうなるかもわからない。
けれど、駄目だ。
駄目なのだ。
理由など知らない。
ただ「駄目だ」という思いだけがこの胸の中に留まっている。
これは約束だった。
あの人の死と一緒に突きつけられた真実だった。
共通の友を亡くした友人からの、最後の言葉だった。
今更この男に知られてしまったことを後悔した。
先の知れない恐怖が震えとなって体を襲う。
両腕を掴む、手のひらに震えが伝わってくる。
それを押さえようと爪を立てた。
この感覚は何だ。
何を予感している。
何を予期している。
目の前にいる男に感じていた親しみや信頼は、今の胸には欠片もなかった。
あるのは恐怖、怖気、首を絞められた時のような焦燥。
「駄目」
「だが君はギルドの一員だ、全てを尽くし組織に従うのが忠誠というものだが」
「させない」
口からあふれ出たのは拒絶の意志だった。
「させない」
目の前に散った赤を思い出す。
その赤を散らした優しい友を、その笑みを思い出す。
――クリス。
名を呼んでくる声を思い出す。
あれを殺したのはわたしだ。
あれを壊したのはわたしの異能だ。
わたし自身、だ。
だから。
だから、もう。
「……もう、あの光景は見たくないんだ」
睨み付ける。
誰かを睨んだのは初めてだった。
胸にふつふつと何かが湧き出そうになるこの感覚も初めてだった。
ただ、目を逸らしてはいけないのだと思っていた。
頭がカッと熱くなっていく。
「君に、わたしは利用させない」
それが怒りという感情であることを知ったのは、だいぶ後だった。
「良い目だ」
フィッツジェラルドは笑う。
「それが君の意志、君の自我だ。忘れるな」
忘れるものか。
目の前で夕日を背負う男を見つめる。
その輪郭を目に焼き付けるほどに、強く。
――その時から、わたしの中の何かが変わった。
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