閑話集

□花惑う
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「うん、そうしよう」


何やらぶつぶつと呟いた末にそう言い、クリスはポンと両手を合わせた。
そして店主に声をかけ、あるものを渡してもらう。
それをそのまま中也へと差し出し彼女はにこりと笑いかけてきた。

未記名の小切手だ。


「というわけで、これ」

「……は?」

「手数料と口止め料。五十万円でどう?」

「はあ?」

「タダでポートマフィア幹部と共謀なんて危なくてできないからね。君だってわたしと組んだことが露見したら困るでしょう?」


だから、とクリスはそれをカウンターへ置き、トン、と指で叩いた。
書け、ということらしい。
口止め料というのは請求される類のものではないはずなのだが。


「このクソネズミ……」

「幹部殿となればこの程度、痛くも痒くもないじゃない。ちなみに拒否したなら」


胸元に差していた軸の黒いボールペンを取り出し、それをかざしつつクリスは形の良い笑みを向けてくる。


「中原さんがプレゼントを受け取ってちょっと嬉しそうにしている様子を撮った写真をポートマフィア内に配る」

「ッて手前それまさか」

「隠しカメラ」


それこそカメラの前で気取る女優のように、女は微笑んだ。


「特大スクープ! 実力派幹部殿の意外な一面! ってね。しばらくはポートマフィア内の話題は君のことで持ちきりになること間違いなし」

「ふざけんなちょッそれ渡せ!」

「嫌だ」


ボールペンを奪い取ろうとした中也の手をひょいと躱し、クリスはにやりと笑みつつカウンターを見遣る。


「あれにサインしてくれたら渡すけど。あと、今のわたしはこの店の客だから、ポートマフィア幹部が管轄下の店で客を殴ったと知れたらそれこそ大問題になる」


ぐ、と握っていた拳が宙で行き場をなくした。
確かにその通りだ、幹部とはいえ組織の客への横暴は許されない。
綺麗に丸め込まれたことへの苛立ちに、中也は奥歯を噛み締める。


「……ッの野郎……後で覚えてろ」

「いや、たぶん忘れる」

「真面目な顔でズレたこと抜かしてんじゃねえよ」


盛大に舌打ちし、中也はカウンターに置かれたそれへサインを書き込んだ。
そしてすぐさまクリスからボールペンを奪い取り、握力で握り潰す。
パキ、と手の中で隠しカメラ機能付きの筆記具が割れた。
あっという間の出来事に、しかし動じることなくクリスは目をすがめる。


「気に入ってたのに」

「文句言うんじゃねえよ仕掛け人が」

「まあ良いや、目的のものは手に入ったから」

「目的のもの?」


頷き、クリスはカウンターに置かれた小切手を手に取って眺め始めた。
金が欲しかったのだろうか、と思いかけ違うと気付く。
こいつがここにいる理由は武器の調達だ。
目的のものが手に入ったということは、代替品の目処でもついたのだろうか。

そんなことを思う中也へ、クリスは楽しげな表情をそのままに小切手から目を移してきた。


「必要なものを書いた紙は店長さんに渡した。それを取り寄せて欲しい」

「取り寄せ、って……銃弾のことか。諦めたんじゃねえのかよ」

「まさか。ここに幹部殿がいらっしゃるのに諦めるわけないじゃない」


ひらりと小切手を振り、女は目を細めて笑む。
先程までの子供っぽい無邪気さを成長の過程で置いてきたかのような、大人びた妖艶な笑みだった。
まとう雰囲気もまた、瞬時に切り替わる。
ぞくりと得体の知れないものを前にしている悪寒が背筋を滑り落ちる。


「使い慣れている最上級品を使いたいからね、妥協はしないよ。――銃弾以外にも数点書き込んだ。時間がかかるとは思うけど、なるべく早く頼むよ」

「何ほざいてやがるネズミ野郎。誰が手前の指示なんざ聞くか」

「君が駄目なら他の人に頼むけど、君はそれで良いの?」

「何のことだ」


クリスは腕を組んだまま、ひらりと再び小切手を振る。
中也が書いたものだ。
金額は五十万。
この女に渡す金としては思うところがないわけではないが、金額としては大したものではない。
それが何の脅しになるというのか。

余裕を見せつける中也に対し、形の良い笑みを浮かべ、クリス・マーロウはとんでもないことを言い放った。


「これを森さんに見せる」




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