第3幕

□二つの青
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カッ、と靴音がわざとらしく鳴らされたのはその時だ。


「――何をしている」


低い声が思考を貫く。
詰まりかけていた呼吸が突如再開される。
短く息を吐きだし、クリスはそちらを見上げた。
不機嫌を表すように眉間のしわを深めた眼鏡の男が、黒ずんだビルの方から歩いてくる。


「……国木田さん」

「待っていろと言っただろう。言った先からトラブルに巻き込まれおって。なぜ俺の周りは皆言うことを聞かんのだ、おかげで探す手間が生じて予定がさらにずれ込んだではないか」


呆れたように大きくため息をつき、国木田は記者を睥睨した。
彼にとってこの記者は予定外だ、疎ましいのだろう。
対して記者はクリスを掴んだ力を緩ませ、しかし手を離すことなく、国木田の視線を受け止める。


「あんた、武装探偵社の人じゃん」

「知っているのか」

「こちとら記者だからね。国本さんだっけ?」

「国木田だ」

「ああ、国木田さんね、国木田さん。……で? その探偵社の社員さんが何の用?」

「それについては俺が先に尋ねている」


国木田の端的な応答に、記者は余裕のある表情で肩をすくめる。


「何をしてたかって?そりゃ記者だからさ、取材だよ取材」

「嫌がる相手から無理矢理聞き出すことが取材と呼べるのか」

「そうしないとわからない事実もこの世界にはある。……まさか市民を守る探偵社の人間が、市民である俺達から事実を知る自由を奪うなんてことは、ないっすよねえ?」


国木田を煽るように記者は口の端を上げて目を細める。


「ねえ、武装探偵社の国木田さん?」


記者の意識が国木田へ向いたことを確認し、クリスは体を捻って記者の手を振りほどいた。

触れられていた箇所を強く掴む。
震える手先が腕に食い込む。
息を長く吐けば、荒ぶり始めていた風がゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
さら、と優しく頬を撫でてくる。


「……貴様の言い分は正しい」


国木田が口を開く。


「俺に市民の活動を制する権限はない、その自由を抑制するつもりもない」


国木田達は街の治安を守る組織であり、市民を統率するための組織ではない。
彼らが罪を犯していない以上、そのやり方に口を挟めないのも事実。
犯罪か否か、その曖昧な境界を駆けるのが記者の性分だ。

けれど、とクリスは自らの腕に爪を立てる。
クリスの、リアのことを外部に漏らすわけにはいかない。
この身はあらゆる方面に秘匿し続けなければいけないのだ。
本当は舞台に立つべきではないこともわかっている。
本当は静かな暗闇に身を潜め続けるべきだということは、誰よりもわかっている。

それでも、それでも、あのスポットライトの下に立ち続けたいと願うのは。
それを無理矢理にでも続ける理由は。


――それが、唯一この身に望まれたことだからだ。


そっと隠し持ったナイフへと手を沿わせる。
それが一番の解決法であり、一番端的で不誠実な解決法であることは理解していた。

けれど、わたしにはこれしかない。

国木田に意識を取られている記者の様子を窺い見、息を吐き出す。
一歩で、十分だ。
一歩で相手の懐に入り込めば、一般人相手なら簡単に急所に一撃を打ち込める。

しかし、クリスの集中力は途中で途絶えた。


「だがな」


ぐい、と腕を引かれる。
予想だにしないことに、クリスの体は呆気なくそちらへと持っていかれた。
国木田の横、庇われるような立ち位置にあっさりと収まる。

え、と思う間もなかった。


「同僚に手出しされて黙っているわけにもいかん」


唐突に言われた言葉に、誰もが沈黙した。

同僚。

クリスはぱちぱちと瞬きをして、その言葉を脳内で何度も聞き直した。

同僚。
確かにこの人は、そう言ったか。
この、アドリブに弱そうな予定通りの日々を望む理想主義者が今、嘘をさらりと言ってのけたのか。


「同僚だ。彼女は探偵社の下請け調査員として舞台女優リアの護衛兼身代わりをしている」


誰が何かを問う前に言い切ったその口調は固い。
そっと見上げた先では、もう片方の手で手帳を広げている。
ずらりと字の並んだその紙面をそっと覗き込み、クリスは再び目を瞬かせた。

白い紙に几帳面な文字で書かれていたのは、予定だった。
それもかなり稀な事象に対する予定だ。
対処法と言っても良い。
そしてそれを、先程の国木田は一言一句違わず読み上げている。

これはそう、言うなれば台本だ。
おそらく国木田はこの事態の発生を乱歩あたりから助言され、対処の予定として事細かにセリフから何から書き込んでいたのだろう。
彼の手帳にはあらゆる予定が書かれている。


「ど、同僚ってことは、つまり……?」


記者はというと突然のカミングアウトに戸惑っている。
当然だ、クリスも戸惑っている。
国木田さえも、平常心ではない。


「リアはその実力の高さから命を狙われやすい。故に護衛を要請してきた経緯がある。これは国からの極秘任務でもある」

「く、国ッ……?」


それは規模が大きすぎやしないだろうか。
そう思ったが、先の展開が見えない以上国木田を見守るしかない。


「そうだ国だ。実はリアは今までに何度か誘拐されかけている。以前は護衛をつけていたが、プライバシーのなさにリアが疲弊してしまった。そこで、国の捜査官であり風貌の似た彼女がリアの護衛兼身代わりとしてリアの側につくことになったのだ。外に出る時は互いの姿を取り替えている。つまり貴様が追っていたのはリアではなく、リアの姿をしたクリスだったのだ」

「そ、そんなことが……」


それだけで舞台が一つ作れそうなほどに凝った設定だ。
もう少し現実味のある設定にできなかったのか。
おそらく、国木田がこれを棒読みすることを予測し、それを楽しむために仕組まれた悪戯なのだろうが。
探偵社の面々を思い出しつつ、クリスは苦笑を押し隠す。


「国の極秘情報を安直に晒す危険性は、十分にわかっていると思うが」


国木田が眼鏡の奥で記者を睨みつける。
セリフが棒読みなのが、逆に無感情さを出していて良い。

予想通り記者は顔を青くして顔をひくつかせた。
危ない橋を渡ることを常とする雑誌記者ならば、警察に見られたくないものも社内に保管してあるのだろう。





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