閑話集

□My dear Valentine
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ぐ、とマフラーを掴む。
毒の可能性を考えるならその思考は妥当だ。
実際クリスもそうした。
ファンからの贈り物の一切に口をつけるつもりはない。
誰かを思って何かをしても、それに応えてもらえないなんて良くあることだ。
たくさん、経験してきた。

誰かへ何かを思うたびに、その人に裏切られたりその人を殺されたりしてきた。
思いが望む形のまま返ってくることなどそうそうない。
ここは、クリスを取り巻くこの世界は、そういう世界だ。

よくわかっている。
わかっているからこそ、クリスは誰よりも先に相手を拒み、誰よりも先に裏切る。
そうしなければ拒まれるからだ、そうしなければ裏切られるからだ。
それが当然の世界に、自分達は生きている。

なら毒を疑ってかマグカップを見つめたまま沈黙している国木田の反応も、何ら不思議なものではなくて。


――何ら不思議なものでは、なくて。


「……すみません、やっぱりご迷惑でしたよね。帰ります」



立ち上がりマグカップへと手を伸ばす。
けれどその手は宙を切った。
国木田の手が先にマグカップを掴み上げていたからだ。


「……国木田さん」

「バレンタインデーというものが何かを、知らなかったと?」

「そ、うですけど……?」

「……これは、明日社員へ渡すための練習だと」

「はい……」

「そうか」


そうか、と何度か国木田は呟いた。
そしてそのまま、マグカップに口をつける。
カップが傾く。
液体を飲み込む喉の音が静寂の中で大きく聞こえてくる。


――飲んで、くれた。


その事実に気付き、呆気にとられた。
この光景を期待していたというのに、実際に目にした瞬間どうしようもない動揺が胸を突き動かした。
大声で喚きたいような、ただただ泣き出したいような、何がしたいのかわからない混乱。
それらを鎮めるように、目の前の光景を見つめる。

国木田がカップから口を離した。
軽く唇を噛み、そこに残っていた甘さを舌で舐め取る。


「悪くない」


こちらを見、国木田は微かに微笑んだ。


「美味い」

「……本当、ですか」


作り方の簡単な、何も苦労していない飲み物。
美味いと言われたところで、クリスが味付けをしたわけではないので当然のことではある。
けれど、なのに、どうしてか胸は浮き立って。


「……良かった」


マフラーに顔を埋める。
今、自分はどんな表情をしているのだろう。
自分のことなのにわからない。
とにかくそれを見られるのは恥ずかしい気がして、鏡花の椅子を元の場所に戻しつつ国木田から顔を背けた。


「そ、それじゃわたし帰りますね。明日、また……」


言いかけ、しばし逡巡、そっと続ける。


「……また、作りに来ます」


その時、また、あの言葉を聞けたのなら。


――そう思うだけで心が弾んだのはなぜなのだろう。






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