閑話集

□四月、僕らは出会う
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背を向けて去っていく二人を、校門から見送る。
その背が小さくなって曲がり角の先に消えた後、ようやく太宰君が「はあ」とため息をついた。


「疲れたなあ」

「嵐のようでしたね……」


敦君も疲れた様子で頷く。


「クリスさん、大丈夫ですか?」

「……わたしは、何もしてないから」


言いはしたものの両手は胸の前で握り合わせたままだ。
震えが止まらない。
あのドストエフスキーという人は一体何なのだろう。


「厄介なことになったね」


太宰君はこちらへと向き直って再びため息をついた。
その顔は楽しげでもなくふざけてもいない真剣そのものだ。
珍しい表情だと出会ってから日が浅いのにふと思い——否、と気が付く。

見たことがある。
そこはどこかの部屋だった。
ガラス窓は全て遮光され、光は彼の手元の照明だけで。


『君はどこの組織の人間だい?』


黒いコート、片目を覆う白い包帯、闇そのものを切り取った闇よりも暗い眼差し。


『期待しているよ』


全ての心臓に突き刺さっている不可視の棘、引き抜けば万人に死を与えられるそれを握る、孤高の男。
その男の、名は。


「……だ、ざ」


何かを思い出しかけている。
それを思い出さなくてはいけない気がする。
とても大切なことで、それがあるからこそ自分は自分でいられているような。


「太宰、さん」


思い出さなければ。
あの日々を、日差しを、笑顔を、血臭を、絶望を、旅を、出会いを、戦いを。

思いを。
願いを。
別れを。


「……わたし、は」

「クリスちゃん」

「わたしは」


太宰君の制服を掴む。
訴えるように、引き止めるように。


「思い、出さなきゃ」


何かのために。


「思い出さなきゃ、いけないんです。じゃないとわたしは、あなたを、皆を」

「クリスちゃん」


言いかけた言葉を遮るように太宰君の手が頬に触れてくる。
促されるように顔を上げ、太宰君と目が合った。
その触感と指先のあたたかさに、眼差しに、夕日の光を思い出す。


——あの時唇の端に触れた、もう一つのものも。


「……ひぅあッ!」


途中までわかりかけていた何かを放り出し、その手をはたいて後ずさった。
太宰君はきょとんとした顔で手を中途半端な位置に留めている。
その顔が嬉しそうな笑顔に変わるのを見、ぞわぞわと全身が粟立った。


「そういうの! そういうの良くない!」

「えー、何で?」

「そういうことするからこの間みたいに修羅場になるの!」

「あれは勝手に向こうが勘違いしてきただけで……ああ、もしかして君もあの子みたいに勘違いしてくれているの?」

「してない!」

「じゃあ勘違いじゃなくて本心?」

「そうじゃない!」


何だこの究極のポジティブ思考は。
太宰君は「うふうふん」などと言いながら照れたようにくねくねしている。
どこに照れる要素があったのかわからない。
敦君はそれを見て苦笑いをしていた。
突拍子のない太宰君に慣れ始めているのだろう。
成長著しい。


「あ、クリスさんもしかしてお昼ご飯まだなんですか?」


敦君に指摘されて初めて、自分が弁当を持ったままでいることに気が付いた。
そういえば保健室で食べようと思っていたのだ。
芥川君を見かけてから今まで、あっという間の時間を過ごしていた気がする。


「まだなら一緒に食べませんか?」

「良いの?」

「鏡花ちゃんと一緒なんですけど……あ、あと谷崎さんと賢治君も誘ってて」

「乱歩さんと与謝野さんも顔出すって言ってたよ」


太宰君の付け足した情報は知らなかったようで、敦君は驚いた後に「じゃあ生徒会のお花見ですね」と楽しそうに笑った。


「クリスさんも来ませんか?」

「でもわたし、生徒会じゃないし……」

「人数は多い方が楽しいですよ! のんびりできるほどの時間はないですけど……」


敦君は「どうでしょうか」と心配そうに首を傾げる。
小動物のようなその仕草に思わず笑ってしまいながら「是非」と頷いた。
生徒会の人達には顔を覚えられている。
一人ぽつんとしてしまうようなことはないと信じたい。


「太宰君も行くの?」

「まあね。織田作が来てくれたら良いのだけれど」

「織田作……?」

「織田先生だよ、国語の」


ああ、とあの教育実習生の先生を思い出す。
日本語の不自由な生徒のためにわざわざ教科書の文をひらがなにしたプリントをくれる、優しい先生だ。


「不思議なところで区切ったんだね」

「ニックネームみたいだろう?」

「うーん、まあ……そうなのかな?」


あまり納得できなかったので曖昧に笑っておいた。
あの人の名前は「織田作之助」だけれど、そんな呼び方をしている人は他にいない。
そもそも織田先生は教師なのに太宰君は何だか親しげなのはなぜなのだろう。
その辺りのこともいつか訊いてみようか。

ふと敦君の姿が見えなかったので周囲を見回す。
彼は後方でげほげほしていた芥川君に話しかけていた。
知り合いだったのだろうか。
それとも、一人でこちらを恨めしそうに見ている彼を放っておけなかったのだろうか。
心優しい敦君なら後者もあり得そうだ。


「じゃあ行こうか」


太宰君はスッと手を差し出してきた。
手を繋いでくれるということなのだろうけれど、少し考えて、そして首を振る。


「太宰君とはそういうことをしないようにする」

「つれないなあ……」


敦君が芥川君を連れてきて、四人で連れ立って歩き始める。
ひらりと上空から降りてきた桜の花びらを目で追いながら、そういえばこれほどの人数と一緒に昼休みを過ごすのは初めてかもしれないと気付いた。





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