閑話集

□闇に憩いし光の花よ
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太宰に連れられて辿り着いたのは、探偵社から程よく離れた街だった。

都会、という表現が似合う街だ。
整備された道路に、きっちりと計算された区画で並ぶ専門店、そして背の高いショッピングモール。
街路樹が植えられたそこを行き交うのは洒落た格好の人々。
ショーウィンドウの中では商品が照明を受けつつその煌びやかさを表現している。


「……ニューヨークみたい」

「この街は初めてかい?」


隣を歩きながら太宰が尋ねてくる。
頷き、クリスは再び目の前に広がる光景を見回した。


「……この辺りには政府関係の施設がないので」

「商業施設が集まる街だからねえ」


ふふ、と太宰は楽しげな表情でクリスの顔を覗き込む。


「こういう機会がないと来ないでしょ」

「そうですね。……それにしても、あの」


言い澱み、クリスは自分の服へと目を落とした。

首元を大きく開けた白い薄手のシャツに、太ももを晒したショートパンツ。
黒いストッキングが露出を抑えてはいるものの、普段は着ない服装だ。
耳元には金の華奢なイヤリングが揺れ、軽くウェーブのかかった髪が歩くたびに首元をくすぐる。
通りすがる店のショーウィンドウに自分の姿が映るたび、普段よりも明るく鮮やかな口紅が印象に残った。


「良いんですか、本当に。デートとはいえ偽装なのに」

「偽装とはいえデートだから、私に気を遣う必要はないよ」


クリスの全身を自腹でコーディネートした男はさらりと言って笑った。


「似合うと思ったんだよね、こういうの。国木田君はこんな気の利いたことはしないだろう?」

「……デートしたことないので」

「君達のは喫茶デートだものねえ」

「デートじゃないです、情報収集です」

「うんうん」


太宰は上機嫌そうにクリスの訴えを無視する。
むう、と唸りはするものの、ここまでしてくれた相手にぎゃんぎゃんと口うるさく言うのは気が引けた。
それに、この手の話題は言えば言うほど言い訳じみてきてしまう。


「……例の女性はこの辺りにいらっしゃるんですか?」

「話を逸らしたね。この手の嘘は不得手かい?」

「"いらっしゃるんですか?"」

「睨みつけて来ないでくれたまえよ。――彼女に今日、ここの辺りを私がうろつくという情報を流しておいたからね。まだ姿は見ていないけれど、いるはずだよ」


情報を流しておいた、とさらりと言ってしまう辺りが太宰である。
その腕があるのなら、このような手間をせずとも脅すなり何なりして例の女性に対処できたと思うのだが。

偽装デート。
相手によっては確実な一手ではあるものの、相手によっては逆上させてしまいかねない。
それを見込んだ上でクリスに頼んできたという点は理解しているが、それにしても奇妙であるという違和感は拭い切れていなかった。

おそらくは、他にも目的がある。
それも、太宰が楽しむためだけの目的が。

それに思い当たってしまう自分がどうにも憎い。


「……太宰さん」

「何?」


にこりと太宰が顔を覗き込んでくる。
その笑顔を睨み上げた。


「……胸ポケット」

「……バレたか」

「今すぐ渡して下さい」

「ちぇ」


わざとらしく舌打ちのような声を出し、太宰は胸元の内ポケットからボールペンを取り出した。
界隈で有名な、ボールペン型の隠しカメラだ。
それを受け取り、自身の鞄にしっかりとしまう。


「わたしのプライベートの写真なんて下手したら数万円ですよ、お遊びにしては重い。安易に手を出さない方が良いです」

「舞台女優さんだものねえ。でも安心したまえよ、君の写真を撮ろうとしたのは、舞台女優の裏の顔でボロ儲けしようというだけではないからね」

「ボロ儲けする気あったんですね」

「そりゃもう。仕事しなくてもお金が入ってくる、それを逃すほど私は裕福ではないし仕事好きってわけでもない」


誰かさんと違ってね、と付け加えられたその一言は無視することにした。
大方この偽装デートも、その人で遊ぶための材料集めの一面があるに違いない。
太宰が何をしようが勝手だが、それをされて一緒に怒られるのはこちらなのだ。

どうせやるならクリスが関係しているとわからない方法を取ってもらいたいのだが、この奔放男はどうしてかあの人の前でクリスの名前を簡単に出してしまう。
迷惑極まりない。


「……国木田さんをからかうのは止めませんしむしろ誘っていただけたら全力でお手伝いしますけど、それのためにわたしを持ち出すのは止めていただけませんか?」

「えー? どうして?」

「国木田さんにもわたしにも迷惑ですよ」

「そう?」


太宰はどこまでも楽しそうに声を浮つかせている。
からかう側の気軽さは知っているから、太宰のことを責める気にはならない。
けれどこれは重要なことなのだ。

なぜなら、あの人にとってクリスはただの一般市民、それ以外の何者でもない。
そう思ってくれているからこそ、クリスは国木田の隣に心地良く居座れている。
むしろそうでなくてはならないのだ、国木田のためにも、自分のためにも。

だから。


「難しい顔してるねえ」


不意に太宰が顔を覗いてくる。
その指先で自身の眉間を軽く叩くその動作は、クリスの眉間にしわが寄っているという合図なのだろう。
思わず自分の額に指を当てて揉みほぐす。


「……すみません、せっかくのデートなのに」

「そう言うわりにまだ自覚ないよね」

「偽装ですから」

「偽装だけどデートなのになあ」


ちらりと背後を見た太宰が、クリスの背中へと腕を差し出した。
そのまま腰へと手を添え自身へと引き寄せる。


「わッ……」


予想だにしていなかったことに、クリスは足をもつれさせて呆気なく太宰に寄りかかった。
抱きとめられたかのような錯覚に息が止まる。
密着する肌にじわりと染み込んでくる太宰の体温、固定された腰、微かに香る人肌の匂い。


――動揺よりも先に赤色の景色が目の前を擦過した。


まずいと思う間もなく太宰はクリスから手を離した。
と同時に、クリスの脇を自転車が通り過ぎていく。
自転車の通行のためにクリスを引き寄せたらしい。
とてつもない安堵が全身を脱力させる。
座り込まずに済んだのは、太宰がそっと背を押して歩みを助けてくれたからだ。


「ごめんね、驚かせた?」


太宰が耳元に口を寄せて囁いてくる。


「――それとも、ときめいた?」

「それはないです」

「おや残念」


素っ気ない答えにも関わらず、太宰はどこまでも楽しげだ。


「さっきの、本当の恋人っぽかったと思わないかい?」

「太宰さんがそう思ったのならそうなんだと思います」

「クリスちゃんはどう思った?」

「歩きづらい」

「……デートしてる自覚ある?」


ここで満面の笑顔で「はい!」などと言ったところで嘘だと見抜かれるのがオチである。
代わりに「それなりに」などと曖昧な言い方をして見せれば、太宰は不満そうに唇を尖らせた。


「せっかく可愛くしたのに。……あ、そうだ」


パッと顔を明るくした太宰は、何かを閃いた様子でキラキラとクリスを見つめてきた。


「仮に私が国木田君だとして、ちょっと演じてもらえたりする?」

「演じ……?」

「国木田君と一緒に街を歩いているという設定で」

「設定」

「私が国木田君役、クリスちゃんが本人役」


ピッと自分とクリスを指差しながら太宰は言った。
つまり、太宰を国木田だと仮定して行動してみろということだろうか。

クリスとしては太宰も国木田も対して差はない、何が変わるとも思えないが、できないわけではなかった。
自分を演じるというのも些かおかしな話だが、不可能ではない。

ふむ、とクリスは顎に手を当て思考する。


「新しい役作りの練習……?」

「そう思ってくれて構わないよ」


ほら、と太宰は何かを歓迎するかのように両手を広げる。
太宰と国木田、あえて似ているとすれば身長程度だろうか。
似ていない人を前にその人がいる前提で行動を考えるのだから、普段舞台の上でやっているような演技とは違う難しさがある。

むう、と唸りつつ、クリスは目を閉じた。
思考、記憶を探りつつ息を整える。


――あの面影を思い出すなど造作もない。


瞼を開け、クリスは隣に立つ太宰を――その姿に重ねた国木田を見上げた。





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