閑話集

□闇に憩いし光の花よ
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ちょっとした思いつきを、太宰は後悔していた。

目の前に少女と呼ぶには大人びた女性がいる。
亜麻色の髪に白い肌、青い目が特徴的な乙女だ。
国木田と親しい彼女は彼に合わせてか常に大人しい服装をしていたので、この際と思って露出がそこそこある艶やかな格好にさせてみた。
国木田が見たなら即刻顔を赤らめて怒鳴りつけてきているであろうほどに、若々しい色気のある服装だ。

それでも中身は何ら変わらず、彼女は普段と変わらないやり取りを太宰としている。
触れようとすれば怯え、甘い空気を作り出そうとしても避けられてしまう。
それはおそらく、彼女の癖のようなものだ。
彼女の異常なまでのその警戒心を踏まえれば、国木田の過剰な牽制は不要であるように思えるのだが。

それで少し気になった。
普段国木田が見ている彼女は、どのような表情をし、どのような仕草をするのか。
太宰に向けるものと違うのか同じなのか。

ただそれだけが目的の、軽い気持ちだった。
なのに。

唾を呑む。
瞬きをする。
音の一切が耳から遠のき、肌が粟立つことすら忘れる。
逃避を試みる五感はしかし、それから逃れることは叶わなかった。

青。
それも、緑を孕んだ。
美しいという他ない眼差しが、上目遣いで太宰を映し込んでいる。
物言いたげなそれが穏やかに微笑む、ただそれだけで十分だった。

細められ光の入り方が変わった碧眼の眼差し、柔らかな頰、弧を描く唇。
目の前の誰かを見つめて微笑む乙女が、そこにいる。
その眼差しに自分の姿が映っている、その事実に頭が警鐘じみた悲鳴を上げ思考を遮る。

花の香り。
芳しくも甘ったるい、朦朧とした脳の奥から何かを引きずり出そうとしてくるような毒気。

呑まれる。


「――ストップ」


太宰の制止にクリスは笑みを疑問の表情へと変えた。
瞬時に目の色味が変わり、単調な青が太宰の姿を映す。
ほっとしてしまったのは、その青が見慣れたものになったからか。


「まだ何もしてませんけど……」

「うん大丈夫、十分。ごめん」

「……謝られる理由が思いつきません」


クリスはというと納得のいかない様子で眉を潜めている。
ということはあれは、演技ではなく無意識なのだ。

考え込む素振りで顎に手を当てつつ、クリスから顔を逸らし、太宰は思考する。
網膜には未だに彼女の姿が焼き付いて離れない。

クリスの目の色が彼女の気分と光の入りようで変わることは前から知っていた。
けれど実際に目にする機会はほとんどなく、それでも稀に見かけては不可思議な色合いだなと思ってはきた。

けれど思いもしなかったのだ。
女性が何よりも美しく映える感情、それを抱いた彼女が放つ多色の眼差しが、それを伴った舞台女優の整った微笑みが、太宰が見ている色合いとは比べものにならないであろうことなど。


「……危うく落ちるところだった」

「え?」

「いや、独り言だよ」


言いつつ同僚を思う。
聡いが愚直な彼の言動を思うに、クリスの心境に彼は気付いていないだろう。
が、彼女のその色を見れば明白な答えがそこにある。
それに思い至っていないということはつまり、常にあの眼差しと微笑みを向けられていて、それが特別なことだということに気付く機会を失っているということだろうか。
だから彼は、彼女のその眼差しに他の誰かが魅了されやしないかと警戒しているということなのだろうか。


――聡明さが真逆に発揮されている。


「あ、あの、太宰さん?」


太宰が押し黙ってしまったからかクリスが困ったように顔を覗き込んできた。
わたわたという形容が似合う動きの彼女を目の端で捉え、太宰は小さく笑う。


「ふふ」

「……人の顔を見て笑い出さないでくださいよ」

「いやあごめん、そういう意味じゃなくて」


手を伸ばし、その耳元に軽く触れる。
柔らかな肌に指の腹を乗せれば、クリスは怯えるように身を縮めた。
その微かな動きが人馴れしていない小動物のように思えてくる。


「……君に構う気持ちが何となくわかったかな」


呟き、太宰はその体を抱きすくめた。
ふわりと花に似た甘い香りが宙に舞い上がる。
突然のことにクリスは呼吸を止めて硬直する。
それに構わず、太宰はクリスを抱き抱えたまま体を横にずらし、先程から駆け寄ってきていた人影へと背を向けた。

異能無効化の力を意図的に抑える。
すぐさま全身を取り巻くように殺意に満ちた銀色が吹きすさぶ。


「……太宰さ……!」


動揺に上ずった呼び声を無視し、自らに突っ込んでくる人影を見遣る。
太宰がおびき寄せた女性だ。

手入れされた髪を乱したまま、彼女は光を鋭く反射する何かを手に太宰の背へと体当たりしてきた。





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