閑話集

□飴玉の向こうに映る青
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【5万打記念】
第2幕後
中也さんとバトらない


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舞台女優、という肩書きではあるけれど、活躍の場は舞台の上だけではない。
よその劇場で特別ゲストとして顔を出すこともある。
為政者のパーティに参加することもある。
前者はクリスの所属している劇団「太陽座」の知名度のための仕事だが、後者は違う。
このヨコハマという街でクリスがリアとして生き抜くための行動だ。

本来ならばクリスは、政治関係者と親しくなるなどという国の中枢に近付く行為をすべきではないのだろう。
クリスは逃げ続ける身であり、クリスの敵は祖国のみならず国という存在、国家そのものである。
しかし国の中で生活をしている以上国というものから逃げるのは至難の業だ。
ならば逃亡を試みるよりもあえて近付き、その手の内を知り、時に操作する方が確実というもの。

そう、思っていた。
それしか考えていなかった。
だからこの事態は全くもって予想外だ。


「これはこれは、どうぞおいでくださいました!」


四十代独特の、若さと老いの狭間のような雰囲気を纏うスーツ姿の男が、ポスターにそのまま張り出せそうな顔でクリスへと両手を広げる。
歓迎の意を示したその仕草に、クリスは笑みを絶やすことなく膝を軽く折って頭を下げた。
シンプルな空色のドレスの裾が少しばかり広がる。


「稲田様、本日はかような祝宴に私のような者をお呼びいただきまして誠にありがとうございます」

「リアの名はヨコハマに縁がある人間ならば皆が聞き及んでおります! しかしまさか来ていただけるとは! 政治家などという胡散臭い仕事をしていて良かったと心から思いますなあ!」

「胡散臭い、などとご冗談を。稲田様のご活躍は耳に届いております」


クリスはにこやかに当たり障りのない返事をする。
正直なところ、相手が政治家だろうとペットショップの店員だろうと、クリスにとっては利用価値があるかないか、その程度しか興味はない。
この会話は相手の本心を聞き出すための前段階でしかなかった。
お世辞などそういうものだ。

男と話しているそばを、スーツを着こなした人々が行き交う。
皆片手にグラスを持っていた。
結婚式場にも使われる会場の中央にはテーブルが並び、立食式となっている。

どこのパーティも似たような形式ばかりだ。
これが一番やりやすいのだろう。
様々な人と話すことができ、己の交友を深めることができる。
クリスにとっても周囲の人々の様子を隙なく窺うことができるので助かるのだが。


「稲田殿」


クリスと政治家の間に割って入るように、黒コートを羽織った高身長の男が近寄ってくる。
パーティ主催者である政治家の話を中断させる行為。
本来ならば許されざるそれに、声をかけられた政治家の男はというと途端に顔を明るくさせて数度頭を下げる。


「これはこれは、森殿!」


クリスはかろうじて笑みを保ち続けていた。
この人は誰だろうか、と言いたげな顔つきを作ったまま、政治家の横でにこにことし続ける。
これが結構大変なのだ。

なにせ、今さっき現れたその人は。


「すみませんねえ、少し遅れてしまって」


そう言ってにこやかに微笑む中年男性の足下では、赤いフリルのドレスを着こなした金髪碧眼の美少女が「リンタロウ! あっち行きたい!」と駄々を捏ねている。
リンタロウと呼ばれたその男性は腰を少しかがめて少女へと顔を近付け、何やら囁いた。
「もうちょおっと我慢してねえ、エリスちゃん!」などと甘い声が聞こえたが、気のせいだということにしたい。


「いえいえ、とんでもない。お忙しい中来ていただけて感謝感謝ですよ! 森殿のおかげでこの界隈にいられているようなもの!」

「そんなことは。全て稲田殿の実力故ですよ。私などおまけのようなもので」


二人は余裕のある様子で会話をしている。
一見すれば親しい仕事関係者同士の親しい会話だろう。
しかし、その背後――二人から離れた会場の壁沿いには、インカムを装備した背広姿の警備員らしき数名が二人を睨むように見つめている。
その上着に隠された腰に物騒なものが備わっていることなど、想像に難くない。


――ヨコハマの闇そのもの、巨大犯罪組織ポートマフィア。


それを後ろ盾とする為政者のパーティに、クリスは参加してしまっているのであった。
一応、前情報としてそれは知っていた。
むしろ知っていたからこそ参加を決定した。
しかし森本人が部下を引き連れて登場するなど予想外である。

幸い、クリスの存在に気付いていないようではあるが、もしその聡明な思考によって政治家の添え物のようににこにこと突っ立っている舞台女優の正体を――それが少し前から全面的に敵対している詳細不明の異能者であることを知ってしまったのなら、その時点でこの会場は建物ごと木っ端微塵に違いない。
クリス一人ならば対抗もできるし脱出もできる。
が、その場合この場にいる全員を口封じに殺さなくてはならない。
さすがにそこまで手間をかけたくないというのが本心だ。

絶賛、ピンチというやつである。

にこにこと政治家の横で華やかな会場の空気の一部に化けているものの、内心は落ち着いてなどいられなかった。
すぐさま会場を抜け出したい。


「ところで稲田殿」


一通りの定型じみた会話が終わったのか、森がふと声の調子を和らげた。


「そちらの女性は?」


――やめてくれ。言及しないでくれ。


無論、演技派女優の内心など誰に伝わるわけもない。


「ああ、こちらですか。森殿もご存じの方かと思いますよ」


そう言って政治家が手のひらでクリスを差す。
それに従い、クリスは腰をかがめる上品な礼を森に行った。


「太陽座のリアですよ。あの有名な」

「ほう」


森が感嘆の声を漏らした。
そして、彫刻作品を眺めるようにクリスを眺め回そうとする。
髪色と目だけで個人を特定するようなことはしないと思うが、そうはわかっていても気が気でない。


「初めまして。リアと申します。そちらは……」

「ああ、失礼。森です。稲田殿に資金面の援助をさせていただいております」


森は対外的な笑みを浮かべた。
犯罪組織の長が決して浮かべない類の、形の良い笑みだった。
合わせてクリスもにこやかな笑みを返す。
自分が演技派の女優であることに今ほど感謝したことはない。


「素敵な女性ですね、稲田殿。奥方かと」

「いやいや、恐れ多い。私にはもったいないですよ」


男性二人の冗談の言い合いにクリスは曖昧に笑う。
正直、早く話を終わらせて去って欲しいのだが。

クリスの意図を読んだわけではないのだろうが、二人の会話はその後すぐに断ち切られることとなった。
森が、足下にまとわりついては服を引っ張っていたエリスがいなくなっていたことに気付き、狼狽し始めたのだ。
森の幼女趣味に救われるなど、人生何があるかわかったものではない。


「エ、エリスちゃーん……どこ行ったのかなあ……すみませんが稲田殿、リア殿、私はこれにて」


言い、森はこちらの返事を待たず会場の中へと慌てて戻っていった。
エリスなら自分の相手をしない森に飽きて食事の並ぶテーブルの方へと走って行ったので、すぐに見つかるだろう。
ここぞとばかりにクリスもまた、政治家の方を向き申し訳なさそうな顔をする。


「すみません、少々疲れてしまいまして……外に出ていてもよろしいでしょうか」

「え? ああ、構いませんが……大丈夫ですか? 休憩室にご案内しましょうか」

「いえ、そこまでしていただくわけには。控え室にて少し休んで参ります」


申し出を丁重に断り、クリスは急く心を押しとどめてゆったりと会場を後にする。
森とエリスを見守っていた何対もの眼差しが自分に注目した気がして、ぞわりと背筋が粟立った。






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