閑話集
□飴玉の向こうに映る青
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会場の外、静かな廊下に出るだけで、騒音は和らぎ緊張は少しばかり収まる。
外からの空気も流れ込んでくるそこで、クリスは大きく深呼吸した。
リアを演じるというのはもはや慣れきってはいるものの、舞台の上ではない何が起こるかわからない場所で延々と演じ続けるというのは精神的に負担が大きい。
「……はあ」
「悪い、ちょっと良いか」
「ふぇあッ!」
深呼吸をする、その最中に背後から聞こえてきた突然の声に、思わず奇妙な声が出た。
あわわ、と思いながら急いで振り向く。
素っ頓狂な声が出てしまったことによる恥ずかしさと、それをカバーしようとするプロ精神がクリスに行動を起こさせた。
少しばかり照れを顔に出しながら、クリスは全身を硬直させてそちらを見る。
「す、すみません、驚いてしまッ」
――言葉が途切れた。
「……あ」
そしてこぼれる、本心からの声。
そこにいたのは青年だった。
黒い外套を肩に羽織った、同じ程の背丈の青年だ。
癖のある明るい色の髪とそれを装飾する帽子が彼に洒落た印象を与えている。
パーティに相応しい格好の、人目を惹く好青年だ。
それが顔見知りでなかったのならどれほど良かったか。
「あん? 手前……」
彼は――ポートマフィア幹部の中原中也は、クリスの反応を見逃さず怪訝な顔をした。
「俺と会ったことあるか?」
重力使いの中原中也。
クリスと絶対的に敵対し、クリスの全力をもってしても倒すには運要素に頼らざるを得ない相手。
出会った回数はそこそこあるものの、ほとんどの場合互いに殺し合うつもりで異能をぶつけ合っている。
なんという運の悪さだ。
「……いえ」
慣れた変わり身の早さでクリスはにこりと上品に笑った。
「遠目から、お伺いしておりました。素敵な……お方だなと思っておりましたので」
無論嘘である。
しかし中也には好印象な言葉に聞こえたようで、「そうか」と少し面食らった様子で目を瞬かせた。
「じゃあ同じパーティの参加者か。話が早くて助かる。あのパーティに俺んとこのボス……上司が顔を出していたんだが、奥方を追ってどっか行っちまったみたいでよ。ここら辺にいると思ったんだが、見てねえか。森って名の、中年で線の細いお方だ」
奥方、というと妻か。
森に配偶者がいたとは初耳だ。
となるとエリスは森の娘なのだろうか。
あまりにも似ていないが。
「いえ……森様といえば、確か、金髪のお嬢さんをお連れした方でしたよね? 先程稲田様とご挨拶されていた……奥方様もご一緒だったんですね」
「ああ……ちょいと説明が厄介なんだが」
中也は気まずい様子で周囲を見回した。
誰もいないことを確認し、物陰に潜むようにそっと顔を近付けてくる。
無警戒の仕草に、反射的に隠しナイフを取り出しかけた。
「そのお嬢が、上司の奥方だ」
「……は?」
「そういうことになってんだよ、うちではな」
中也は真面目な顔でそう言った。
エリスは奥方設定なのか。
ますます、あの森という首領の嗜好がわからない。
やはりポートマフィア首領ともなると思考が常人には敵わないのだろうか。
しかもそれを中也が律儀に守るとは思わなかった。
根が真面目なのか、相手が自身の上司だからなのか、それともその両方か。
ナイフを取り出しかけるも必死の理性で押しとどめたクリスの様子に気付くことなく、中也はクリスの隣の壁へと背を預けた。
どうやらここで一休みするらしい。
この程度で正体がばれるとは思えないが、それでも心は安らぎとは正反対だ。
異能を使わざるを得ない状況にならなければ良いのだが。
クリスの心配をよそに、中也はポケットから何かを取り出した。
黒手袋の上に乗ったそれを一つ摘まみ上げ、残りをクリスへと差し出してくる。
「食うか?」
飴玉だった。
色鮮やかで砂糖のようなものがまぶしてある、ビー玉のような飴玉。
ビニール袋に入ったそれが三つほど、中也の手の上に乗っている。
青と、緑と、黄色。
中也自身が摘み取ったのは橙色だ。
いつもは殺意と共に振りかざされるその手を、クリスは思わずまじまじと見つめた。
「……良いんですか?」
「お嬢……奥方からもらったんだ。今日の駄賃だってな。一人じゃこんなに食わねえし」
「じゃあいただきます」
黄色のそれを一つ、中也の手に触れないようにそっと摘まむ。
敵だと認識されていないにしろ、やはり彼の異能は恐ろしい。
初対面の男性へ配慮していると見せかけて受け取った飴玉を、クリスは手のひらに乗せて改めて眺めた。
透き通りそうなほど透明な黄色が、雪のような白い飾りをまぶしてクリスの手の上にある。
「……綺麗」
「そうか。そりゃ良かったな」
中也の応答は呆気ない。
その素っ気なさに少し安堵しつつ、クリスはビニールを破って飴玉を取り出した。
親指と人差し指の腹でそれを持ち、目の前にかざして天井の照明に透かしてみる。
乱歩がビー玉を手によくやっている仕草だった。
黄色が白色の照明を受けて輝く。
まるでその輝かしい色がクリスの視界に光を加えてくれるような錯覚。
綺麗だ。
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