閑話集

□願いが叶う教会
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ひとまずは、と国木田はため息をついてソファの背もたれへと寄りかかった。


「状況はわかった。今日にでも現場を見てみよう」

「よろしく頼む」


向かいのソファで中年の警官が軽く頭を下げてくる。
探偵社の顔なじみの警官だ。
この応接室の居心地も慣れているようで、周囲を見回すことなく資料束を国木田に手渡した後、すっくと立ち上がってすぐさま出口へと向かう。


「あ、箕浦くーん」


ぶんぶんと部屋の奥で手を振っているのは乱歩である。
どうやらこの警官と親しいらしく、二人は顔を合わせるたびに何かしら会話をしていた。


「また何か事件?」

「そうだ名探偵。お前の同僚に話はした。悪いが頼まれてくれるか」

「ご依頼とあらば。っていうかかなり素直になったよねえ、最初はあんなにも刺々しかったのに」

「その話はするな」


箕浦は気まずそうな顔をする。
乱歩と共に仕事をし、その奔放で無神経な態度に苛立った後超人的な推理力に感服した人間が宿す、共通の表情だった。
この警官もまた、乱歩にその実力を見せつけられたのだろう。
乱歩の存在はそういう類のものだ。

相手に否応なく頭脳を見せつけ、否応なく平伏させる。
絶対的で非難のしようもない、完璧な君主。

警官が帰った後、探偵社の扉がパタンと閉められる。
来訪者がいなくなったからといって気が緩む国木田ではなく、そして来訪者がいたからといって気を引き締める探偵社員でもない。
つまりは警官がいたかどうかもわからないほどのまったりとした通常の空気が、警官が去った後も変わりなく社内を満たしている。


「市警からの依頼かい?」


与謝野が手元を止めて国木田を見遣った。
ええ、と答えつつ、国木田は自分の席へと戻る。
椅子の背を引き、その座面へ座って与謝野の方を向いた。


「傷害事件の調査協力です。今のところ死人はいないようですが」

「それなのに探偵社へ依頼かい? 珍しいもんだね」


与謝野の言う通りだった。
探偵社に依頼される仕事の多くは、異能力者が関係していたり、国家警察では手に負えない案件だったり、死者が多数出ていたり、証拠が少なく犯人の目星がつかなかったり、そういう難解な事件だ。
しかし今回の事件はそういった事情はない。
ただ少しばかり奇妙なだけだ。


「どんな事件なんです?」


終了案件の報告書をまとめていた賢治が、首を傾げて国木田を見遣った。
その横で谷崎が「ちょっと話が聞こえていたんですけど」と口を挟む。


「被害者は全員女性で、奇妙なことに証言が全員一致していると……」

「はいはいはい!」


びょん、と国木田の視界の隅で何かが立ち上がった。
がたりと椅子が跳ね飛ばされる。
両手を元気に上げて、それは机越しに国木田へと身を乗り出してきた。


「それ私が担当する!」

「却下だ」


そちらを見ることなく国木田は即刻言い放った。


「貴様は被害者の女性と話がしたいだけだろうが」

「違うよお、被害者の女性と話して事件の情報を集めて、そのついでにお茶にでも誘いたいだけ」

「却下に値する十分な理由だ」

「羨ましいなら国木田君もお茶に誘ってあげるよ?」

「なぜ貴様に主導権を握られねばならんのだ。それに羨ましいわけがな……言わせるな!」

「国木田君が勝手に言っただけじゃない」

「とにかく貴様は却下だ太宰!」

「ちぇッ」


太宰は素直に椅子に座り直した。
その隣で敦が苦笑いをしている。
その顔を疑問の表情に変え、敦は「でも」と国木田に尋ねてきた。


「全員同じ証言っていうのはそんなに不思議なことですか? 同じ犯人に襲われたのなら、証言は一致するものでは?」

「全員同じ犯人を目撃していないから、問題なのだ」

「どういうこと?」


太宰が頭の後ろで両手を組みながら目を瞬かせる。
国木田は手元の資料へと目を落とした。
隣の席で鏡花が国木田を見つめてくる。


「……犯人がたくさんいる?」

「そうではない。……いや、ある意味そうなのかもしれんが……」

「歯切れが悪いねえ」


与謝野が呆れた様子で声を上げた。
その言葉に返すための文章を頭の中で組み立てる。
その間、探偵社の中は誰も口を出さず静まっていた。


「……被害者は全員、同一の刃物で一度刺された状態で救急に自ら連絡し、運ばれている。腹部を正面からだ、犯人の姿も見ているはずなんだが……誰もその姿を覚えておらず、むしろ刺されたことすら記憶にないと言っている」

「不思議なことですね……何ていうか、その……奇妙、というか」


谷崎が何かを察したように言い淀んだ。
その横で賢治が顎に手を当てる。


「眠らされて刺されたとかでしょうか? そうだとすると、無抵抗の被害者相手に命に別状のない一刺しだけというのが気になりますが」

「ああ、その点は市警も奇妙に思っているらしい。そしてもう一つ、気になるのが……」


ガチャ、と探偵社の扉が開けられたのはその時だった。


「こんにちは」


ひょこと顔を覗かせてきたクリスに社員の目が集まる。
やあ、と乱歩が手を上げた。


「ちょうど良いところに来たね」

「ちょうど良い?」


クリスは首を傾げながら社内へと入ってくる。
誰もがクリスと同じ心境で乱歩の方を見た。
新聞を手に――おそらく四コマ漫画を読んでいたのだろう――菓子を摘む名探偵は、言葉少なに「出番だよ」と告げる。


「何のことですか?」

「聞けばわかる。――国木田、続けろ」


聞いていないようで聞いていたらしい、乱歩の指示に国木田は「ですが」と反論しようとした。

クリスと探偵社の業務に関係はない。
無関係の部外者を関わらせるのは良くないことだ。
特にこの事件は、彼女にとって。


「問題ない」


乱歩はやはり簡略な言葉を発した。
それ以上は何も言わず、新聞に没頭してしまう。
ああなった乱歩からその思考を聞き出すのは不可能だ、従うしかない。

諦めて国木田は今し方現れた来訪者へと向き直る。


「……とある古い教会で、刃物で傷を負わされた女性が一一〇通報する事例が相次いだ」

「教会……?」

「もう使われておらん教会だ。被害者は皆、腹部を刃物で一突きにされている。しかしその誰もが、犯人の姿はおろか刺された記憶すらもないと証言した。それだけではなく、こうも証言している」


国木田の目の前で、クリスは何かに思い至ったかのように驚愕の色を碧眼に宿している。
その色に気付きながらも、その色がやがて叶うはずのない希望を宿すことを知っていながらも、国木田はそれを言わないわけにはいかない。

口を開く。
脳内で準備した、被害者達の証言を声に出す。

廃れた教会、神父の一人もいないそこで、女性達が犯人の姿の代わりに唯一記憶していたこと。
それは。


「――愛しい亡き人に、会ったのだと」


会えるはずのない人との再会を果たしたのだという、信じ難い奇跡だ。





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