第2幕

□虎の道標
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いつだって目的は情報であり、金だった。
情報は腐らず、一定の価値が保たれ、正しい相手に渡せば相応の額になって懐に返ってくる。
懐の金が増えれば、次の行動への資金になる。

次のための今。
そのやり方は一人で世界を渡るようになってから身につけた、最低限の自己防衛技術だ。


「虎、ねえ?」


バーの席でグラスを傾けながらクリスは適当に相槌を打った。
相手は政府の人間だ。
最近どこかで知り合って、最近なぜか飲みに誘われる。

経緯などどうでも良い。
彼はクリスが酒に弱い若造だと思っている。
最初にそう演じたからだ。

回数を重ねた結果、少しの酒で記憶がなくなるというクリスの設定に慣れてきたこの男は、クリス相手に情報満載の愚痴を垂れ流すようになった。


「馬鹿馬鹿しいだろう? ヨコハマだぞここは。動物園じゃないしジャングルでもない。しかも人を食うとも言われている」

「何だかファンタジーだねえ」

「そうだ! 現実味がない。こんなふざけた話にも我々は業務として接しなければいけないんだ、馬鹿馬鹿しい」


聞くところによると、その人喰い虎なるものは場所を転々としつつ畑を荒らしたり人を襲ったりしているらしい。
目撃者がいる時点でそれが虎であることは間違いないだろうが、しかし犬でも猫でもなく虎とは。


「どこかの動物園から逃げたの?」

「確認したがその可能性はない。ったく、猪の見間違いだろうよ。何でもかんでも異能力関係にしやがって」


男が異能力に関する職場に勤めていることは既に知っている。
だからこそ、こんな面倒なことをしてまで話を聞いているのだ。

グラスの中の液体を飲み干せば、りんごの香りが鼻を突いた。
海外では十八歳以上を成年とする国もあり、酒は飲んだ経験がある。
しかしこの国は二十歳以上であるらしい。

飲酒などで捕まるのは嫌なので、相手の目をかいくぐって水やジュースをそれっぽく飲んでいる。


「なんか理由があるんじゃない?」

「ああ、何でもポートマフィアが一枚噛んでるらしい」


顔を赤くし、男は尚も酒を煽る。


「詳しいことは知らんがな。ポートマフィアと言えば最近は野蛮な異能者が出てきてあちこちを破壊し回るもんだから、やってらんねえよ」

「新人でも入ったの?」

「新人かは知らねえが、最近は特に名前を良く聞く。何だったっけな、えーと、阿賀川、朝日川、うーん」

「『あ』と『川』しかわかんないじゃーん」


へへ、と酔ったふりをして笑って見せれば、男もまた豪快に笑い声を上げた。

おそらくその名は「芥川」である。
昨日もこの流れで話題になったので、調べたのだ。
あちこちでその名に関する情報が入手出来たあたり、かなり有名らしい。


「どんな異能力なの?」

「鎌か鞭か何かでコンクリートを割るような、凶悪な殺人マシーンだっていう話だ。見たやつはみんな死んじまっていないらしいがなあ、ひひっ」

「そりゃ誰も知らないわけだ、へへっ」


相手に合わせて笑っておく。

やはり詳細は不明か。
昨日調べた時点でも、殺戮に特化しているということくらいしか情報は得られなかった。
情報屋なら何か持ってるだろうか。

テーブルに手をついてよろりと立ち上がる。


「あーおっちゃん、おれもう限界だぁ。帰るわー」

「んだよ弱えなあ、金は払っとくよ」

「いつもあんがとねー」

「誘ったのこっちだからな、ガキの支払いくらい任せとけって」

「さっすが官僚様、頭が下がらねえ」

「そこは下げろよ!」


ぎゃんと喚いた男へと「冗談だよ」と言い、軽く手を振りながら店の出入り口へと向かう。
扉に手を掛けようとした瞬間、二人組が店の中に入ってきた。
何かを探すように店内を見回しながら入ってきた彼らを横目に、店を出る。

扉を閉める直前、がしゃん、と大きなものが床に崩れ落ちる音が聞こえた気がした。
悲鳴が外にも聞こえてくる。


「他の情報網を探すか」


やはり政府ともなると、それなりの階級の人間でないと情報網としては弱い。
しかし上層部の人間はその地位が示す通り口が堅い。
下手に近付けばこちらの身が危うくなる。
さて、どうしようか。

街灯がちらつく路地を歩きながら、手に隠し持っていた錠剤をポケットに押し込める。
あの男、どうやらクリス以外にも情報を外部に垂れ流していたらしい。
その口の軽さに政府が気付くのも時間の問題だったというわけだ。

先程店に入っていった二人組を、彼らの腰に隠されていた武器を思い出す。
政府支給の、拳銃。


「……楽しかったよ」


それは、本人には届かないさよならの言葉。


情報漏洩の疑惑で捕まった政府関係者が翌日拘置所で毒死していたと報道されたのは、それから二日後のことである。



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