第2幕
□光が指し示す方へ
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「……僕に、できること」
ぽつりと呟きながら、敦は道を歩いていた。
今は昼間、仕事の時間だ。
しかし敦の頭には、医務室で目覚めた時に見た国木田の焦り様がこびり付いて離れない。
「……国木田さん、すごく動揺していたな」
昨日、出会うなと言われていた芥川という男に出会ってしまった。
しかも奴は、虎に変身する異能力を持つ敦を狙っているという。
数日前まで孤児院で細々と生きていただけの自分がなぜ、異能力などというものに振り回され、あんな凶悪な男に狙われなければいけないのだろう。
敦は己の喉に触れる。
孤児院から追い出された後ろくな食事も取れず見る間に細っていった体は既に肉をつけ始めていて、首元も皮の下の脂肪が確認できるくらいにはなった。
七十億。
それがこの細い首に懸けられた金額。
一文無しだった敦にはその数字は実感がわかない。
けれどその金額が、自分の周囲を害する敵が現れる原因になり得ることはわかる。
「……逃げなきゃ」
逃げるのだ。
自分の周囲に大切な人がいない場所まで。
自分のせいで害される人がいなくなるように。
けれど、そう思うたび、探偵社の人達の温かさを思い出す。
やっと手に入れられるのかもしれないと思っていた、情、愛、優しさ、そういったものがあの場所にはある気がして、本当は離れたくなんてない。
けれどこんな自分のワガママであの人達が傷付くのは嫌だ。
それは何よりも嫌だ。
――出て行け穀潰し!
何度振り払っても消えない記憶が、瞼の裏で敦の心を抉っていく。
「……役立たずだなあ、僕」
まさしく穀潰しだ。
探偵社の社員になれたとはいえ、ナオミと谷崎が大怪我をする様子を眺めることしかできず、芥川には抗うこともできず。
無意識のうちに異能力を発動して事なきを得たらしいが、それが意識的にできなければただの偶然だ。
ぼうっとしながら歩いていたら、いつの間にか川辺へと来ていた。
川は太陽の光でキラキラと輝いている。
綺麗だ。
自殺はしたくないけれど、水面で星のように瞬く輝きに手を伸ばして、掴んでみたいとは思う。
柵に手を掛けて寄りかかり、川面と川の向こうの建物を眺める。
この景色のどこかに、僕の居場所はあるのだろうかとふと考えた。
きっと、ない。
どこに行っても役に立たない、それどころか周囲の人に危害を与える存在にしかなり得ない。
「落ち込んでいるようですね」
ふと、敦の隣に人影が落ちる。
その人は敦のように柵に手を掛けて寄りかかった。
見上げれば、見知らぬ女の子が敦に微笑みかけている。
同じくらいか、少し年上の子だろう。
亜麻色の髪はさらさらとしていて、川辺からの風を受けてふわりと広がっている。
光の加減で緑にも青にも見える目は穏やかで、そこに宿った優しさは探偵社の皆を思い出させた。
「あの……」
「休憩時間に散歩しにここまで来たんですけど、とてつもなく暗い空気を背負った人がいたものだから。入水でもするんです?」
「いやいや、しませんよ」
太宰さんじゃあるまいし。
そう呟きながら苦笑を漏らした敦の脳内には、太宰の今まで起こした自殺未遂の数々が思い起こされている。
今もどこかで人に迷惑をかけているんだろうか。
「ではなぜここに? あなたは休憩時間というわけではないでしょう?」
この人は知らない人だ。
けれど、まるで敦に心を吐露させやすいように言葉を選んでくれている気がする。
自惚れかもしれない。
けれど、この都合の良い思考を否定する気にはならなかった。
「……逃げて、きたんです。自分の職場から。僕は何もできなくて、それなのに皆さんに迷惑ばかりかけてしまうんです。今回だって」
ふと口を閉ざす。
どこまで話して良いのだろう。
相手は探偵社の部外者だ、詳しい話はしない方が良いのだろうか。
「わたしはあなたの独り言を聞いているだけですよ」
背中を柵に預ける形に体勢を変え、その人は突然言った。
まるで心を読まれたかのようなその発言に、敦は驚いて彼女の顔を見上げる。
その人は敦と目を合わせず、しかし穏やかな横顔をそのままに、敦の視線の先で微笑む。
「わたしは休憩時間に暇つぶしをしている。あなたは独り言を呟いている。ただそれだけです」
敦は川面へと目を戻した。
輝く青は、波に揺れながら木の葉を運んでいる。
それを見つめ、敦は口を開いた。
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