第3幕

□独り歩みし我が背
1ページ/5ページ


街はいつものように人々が行き交っていた。
昨日も一昨日も、同じ景色がそこにあったように思う。

代わり映えしない光景の中を歩きながら、クリスはちらと与謝野を見遣った。


「それで、国木田さんは外出をしてしまったんですか」

「すまないねえ、引き止められなくて」

「いえ、用事があったわけではないので」


クリスと並んで歩く与謝野の蝶の髪留めが、太陽光を反射して輝く。
光を髪に飾っているかのような錯覚に、クリスは目を細めた。
クリスの視線に気付かないまま、与謝野は肩を竦める。


「一秒も遅れられない、ってすぐに出て行っちまったから。相当やる気になってたよ。太宰もね」

「太宰さん?」

「国木田の予定を乱そうと躍起になってるよ」

「ああ……なるほど」


太宰がやる気になるとはどういう意味かと思ったが、そういうことなら納得がいく。
むしろその場にいられなかったのが残念なくらいだ。


「……楽しそう」

「アンタ、最近よく太宰とつるんでるねえ」

「国木田さんの反応が面白くて」


さらりと言い、クリスは悪戯っぽく笑ってみせる。

半分は本当だが、半分は嘘だ。


――感情的になってはいけないよ。特に君は。それが敵の策略だ。


澁澤による陰謀が阻止された後、バーの席で太宰はクリスにそう忠告をした。
その真意は不明だ、”敵”が誰なのかもわからない。
けれどクリスを手の内に飼い監視下に置こうとしている太宰がそのようなことを言ってきたのが引っかかっていた。

誰にも囚われず利用されず逃げ続けることを必要としているクリスにとって、太宰こそが敵だというのは彼もおそらくわかっている。

だから、様子を見ている。
彼の行動の端々に見える本心を探している。

敵とは誰のことか。
策略というのは何のことか。
それともあの言葉はクリスを困惑させるための嘘なのか。

探偵社経由で国の機関である異能特務課の監視下に置かれてしまっている以上、逃亡を図るわけにもいかないので、暇つぶしを兼ねた情報収集でもある。


「それで、太宰さんは今どちらに?」

「社内にいるよ。どこかに電話しまくっていたけど……国木田の後をつけるかと思ったんだけどねえ」

「ふーん……?」


電話、電話か。
太宰の思考は読めない。
何をするつもりなのだろう。
顎に手を当て考えるも、太宰が好みそうな手は思いつかない。
この類の発想で太宰に敵うとも思っていないが、少しはあの、裏の裏ではなく裏の側面を掻くような、柔軟で突拍子のない考えができるようになれたらとは思う。

目の前の横断歩道の信号が赤になる。
点字ブロックの上に立ち止まり、道路を往来する車の群れをぼんやりと眺めた。
そういえば、と与謝野が声をかけてくる。


「行き先が同じだから一緒に来てくれたのはありがたいけど、クリスは駅に何の用なんだい?」

「駅に、というよりは隣街に用があって。頼んでいた物を受け取りに行くんです」

「特注品なのかい」

「いえ。パーツが珍しいので、取り寄せてもらって」

「パーツ?」


きょとんとする与謝野へ、人差し指を唇に当てて微笑む。
それだけで察しがついたらしい、与謝野は途端に呆れ顔になった。


「……また無茶するんじゃないだろうね?」

「定期的なアップグレードですよ。最近新しいセキュリティシステムが開発されたので、それの対策です」


クスリと笑めば、与謝野は大きなため息をついて視線を逸らした。
無茶をしないわけではないのだろうな、とでも思われたのだろう。
しようとしていること自体は大したものではない、いつも使っている小型パソコンの改良のためのパーツ集めだ。

あらゆる場所にあらゆる手法で侵入できるその機械は、クリスの諜報活動に必須な道具である。
中身は常に最新のパーツを使い、最新のソフトを掲載し、どんなセキュリティも突破できるように整えてあった。
逆探知を阻害する機能も搭載している。
多彩な機能を積んでいる分容量が小さいので多量のデータから特定のデータを抽出する作業などは苦手だが、容量の大きな機械に繋げば機能が共有され、その点を解消できるようにしてあった。

今回のパーツが手に入れば、さらに情報収集の効率化が進む。
国の情報網にアクセスする時間も短縮されるはずだ。

信号が青に変わり、他の歩行者と共に道路を渡り始める。
黒地に描かれた白の線を順に踏んだ。
トン、トン、と跳ねるように歩くクリスの無邪気さを見、与謝野は苦笑を漏らした。


「アンタは変わらないねえ……」

「これが常ですから」


おそらく様々な意味が込められたその言葉に、にこりと笑う。
常だと言っておけば特別に怪しまれることも気遣われることもない。
探偵社と関わる回数が増えている分、彼らに渡す情報も選んでいかないといけなかった。

余計な詮索をされないようにすることも大切だ、彼らは敵ではないが、敵でないことが必ずしも信用に値するとは限らない。

そんな意図を感じ取ったのか否か、与謝野はじっとクリスを見つめてくる。
クリスはきょとんと目を瞬かせてみせる。


「与謝野さん?」

「……いや、何でもないよ」


与謝野は何かを言いかけたまま、首を横に振る。


「聞いたところで何も答えちゃくれないんだろう?」

「何のことかはわかりませんが、たぶんそうですね」


最後までしらを切り通す。
与謝野は単にクリスを心配しているだけで、何かを聞き出そうとしているわけではないことはわかっている。

けれど油断することはできなかった。
彼女にその気がなくても、その後ろにいる太宰が、乱歩が、そうではない可能性がある。
彼らの手の中にいる以上不利を被るわけにはいかない。

これを孤独だと呼ぶのなら、クリスの孤独は義務だ。
これを怠れば世界が不幸に陥れられる。
この身は、この身に潜む技術は、誰の手にも渡してはいけない。

それは、何を虐げ犠牲にしてでも守るべきものだ。





.
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ