第3幕

□警鐘鳴り響く
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ストローから口を離し、クリスは国木田の言葉を反芻した。


「爆弾盗難事件?」

「あまり大声で言うな。これは軍警の威信に関わる問題だ」


静かに言い、国木田は珈琲カップを置く。
カチャ、と涼やかな音が喫茶に響いた。
カップの隣に置いていた手帳へと手を移し、ページをめくる。


「一週間前、とある反社会組織から軍警が爆弾を押収した。解析が終わり次第処分する手筈だったが、昨日の夜何者かに盗み出されたという」

「面白い事件ですね」


素っ気なく言った後、クリスはストローを刺したグラスから手を離し、パフェへと手を伸ばした。
柄の長いスプーンを摘むように持ち、三角錐型に連なった白いホイップクリームを削り取り、口に運ぶ。
二口目でイチゴを一つ頬張り、その甘酸っぱさを味わいながら咀嚼した。


「軍警から証拠品を盗み出すなんてそうそうできることじゃない」

「問題はそこだ」


国木田が頷く。
近くを通りかかった店員が、訝しげにこちらを一瞥した。
が、他の客に呼ばれてそちらへと向かう。
怪しまれただろうか、この洒落た店で物騒な話をするのは。

木目の壁が落ち着きを与える店内は、ほぼ全てのテーブルが埋まっていた。
女性特有の高い囁き声があちらこちらから聞こえ、時折笑い声が上がる。
穏やかな昼下がり、些か日差しの強い中、彼女達は上品なティータイムを過ごしていた。
男性客は少ない。
だからだろうか、店員からだけではなく客からも、時折国木田へと視線が集まっているようだった。

きっちりとした服装に、飾り気のない眼鏡、細身ながら筋力をうかがわせる体つき。
どこからどう見ても洒落た喫茶店には不似合いな人だ。
けれど背筋の伸びた長身、眼鏡に隠された凛々しい顔立ち、そして手帳をひっきりなしに触る手の大きさに、どうにも世間の女性は目を奪われるらしい。
先程からちらほらと黄色い囁き声が聞こえている。


「……どうした」


じ、と見つめていたら気付かれてしまった。
いえ、と短く返し軽く微笑む。


「世の女性が好むものについて、少し感心していました」

「……どういう意味だ?」

「お気になさらず」


眉をひそめる国木田から視線を落とす。
パフェは既に半分以上を失っていた。
ホイップクリームとイチゴ、そしてイチゴのソースを飾り付けられていたそれは、見る影もなく白と赤の混合物と成り果てている。
更にそれをかき混ぜつつ、底に潜められていたスポンジケーキと共にすくい上げた。


「それで、探偵社は爆弾の在り処と犯人を探し出そうとしている、と」

「犯人に関しては軍警から資料を取り寄せ次第乱歩さんが推理する。わざわざ軍警から爆弾を盗み出した犯人だ、いつまでもそれを抱えているとも思えん。今日か明日か、すぐに動き出すだろう」

「極秘任務ですか、探偵社の方々も大変ですね。国の尻拭いをまた押し付けられるとは」


ふとお互いに黙り込む。
静かなクラシック音楽が耳に届いた。

軍警から盗み出された爆弾。
爆弾など、このヨコハマの街ならば反社会組織に接触すればすぐに手に入る。
なのにわざわざ軍警から入手しなければならない理由。

その爆弾が特殊なのか、軍警から盗み出すことに意味があったのか。
隠蔽か、挑発か。

ガラス容器の内側に張り付いたクリームやソースをスプーンで削ぎ落とす。
上から下へとスプーンを滑らせた痕跡が、降り注ぐ雨のようにガラスの内側に描かれる。


「どう考える」

「軍警内部に忍び込んでいるところから、軍警に内通者がいる、もしくは軍警の警備を掻い潜るほどの実力があることが考えられます。それが誰かを推定するのは乱歩さんの方が頼りになるでしょう。国木田さん達が考えるべきは”これから何が起こるか”でしょうね」

「それについては乱歩さんから助言をいただいている。無論」

「――無論、爆発させる、と」


最後の一口を咥えつつ、クリスはそれを呟いた。
スプーンの冷たさが唇に張り付く。

先にセリフを言われた国木田は、開けた口を閉ざして諦めたように頷いた。


「言葉を先取るな」

「まあ爆弾ですからね、爆破しないのなら爆弾である必要がない」

「人の話を聞け」

「となると場所か。こればかりは犯人の目的がわからないと絞り込めません。それで皆さん、街を巡回警備中ということですね」

「だから人の話を……ッたく、ああそうだ。盗まれた爆弾が街中で爆破されれば死人が出る。それを防ぎたい。何か考えがないかとあなたに聞きたかったわけだが……その、一つ聞くが」


顔を上げ、国木田に首を傾げて先を促す。
すると彼は、険しく潜めていた眉を戸惑ったように歪めながらクリスへと指を差した。


「いつも思うんだが……早すぎないか?」


す、と国木田が見据えたのはパフェの容器。
既に空だ。
底の見えた容器を見、クリスは「ああ」と声を漏らした。


「もしかして食べたかったんです?」

「他人のものを欲しがるなどあるわけがないだろうが。そうではなくてだな」

「言ってくれたら分けたのに」

「違うと言っている」

「美味しかったですよ。もう一つ頼みます?」

「やめろ」


国木田が大きなため息をつく。
パフェ一つというのは、甘いものが好きでないと食べ切れないだろう多さであることが一般的だ。
逆を言えば、甘いものが好きな人にとっては至高の幸せであるわけだが。


「……甘いものが好きなのか?」

「いえ、美味しいものが好きなだけです」


アイスティーを一口含み、そのほろ苦さが喉を落ちていく感覚に目を閉じる。

甘さも苦さも、幼い頃は知らなかった。
ギルドに拾われてようやく、食というものに興味を持ったのだ。
齢十五程度にして初めて食べ物に味があることを知った、と言ったらさすがに驚かれるだろうか。


「施設にいた頃はまだ味にこだわる年ではなかったし、諜報組織での生活はあまり記憶にないし、ギルドに拾われて初めてナイフとフォークの使い方を知ったくらい食との関わりが薄かったので。その魅力に気付くのが遅かったとはいえ、何かを楽しむようになれたというのはとても大きなことだったと思います」

「……記憶がない、というのは」

「ウィリアムが死んだ後のことは、あまり覚えていないんです。諜報組織にいた時で覚えていることとすれば、女性専用の部屋に侵入しようとした男性がこってり拷問されたりとか、食料を巡って争奪戦を繰り広げたりとか、そんなことばかりですね。あの場所のおかげで諜報の技術だけじゃなく、盗みの腕も上がりました」

「そ、そうか」


あっさりと言うクリスへ、国木田は額に手を当てる。
そんな国木田の反応が面白くて、彼でつい遊んでしまう。
それは気が緩んでいるということだろうか。
気を許してしまっているということになってしまうのだろうか。

以前なら、そんなことはあり得ないと自分に言い聞かせていた。
これは嘘なのだと、国木田を絆すためのお遊びなのだと、そう思おうとしていた。
けれど今は。


「どうした」


ふと国木田が不思議そうにこちらを見る。
そう訊ねられる理由が思いつかず、クリスはきょとんと彼を見返した。


「え?」

「……いや、何でもない」


すぐに目を逸らされてしまった。
自分のどこかが変だったのだろうか。
自分の体を見、顔に触れ、そしてハッと気付いた。


「もしかして、そんなにパフェを食べたかったんですか!」

「なぜそうなる!」


思った通り国木田は身を乗り出すように突っ込みを入れてきた。
やはり反応が良い。
耐え切れず笑みが漏れた。


「ふふッ」


零れた声に、国木田は不満そうに眉をしかめた後、フッと表情を緩める。
珈琲カップへ目を落とす素振りに似たそれを見、クリスはさらに微笑むのだった。





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