第3幕

□再会
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爆弾盗難事件から数日が過ぎた。
ポートマフィアの犯行であるという探偵社の推理を元に事件は幕を閉じ、軍警の警備体制が現在見直されている。
それへの意見書を提出し終えた国木田は、医務室へと向かっていた。
与謝野が特務課へ提出しなければならない書類の催促をするためだ。

あの日、クリスの身柄は軍警から特務課へと移された。
その処置を正当に評価するための書類が必要なのだ。
急ぎだというのにまだ提出されていない。

医務室の扉を開け、声をかける。


「与謝野先生、昨日言った書類がまだ提出されていないと軍警が」


そこで言葉は途絶えた。


「あ」


椅子に座っていた与謝野がこちらに気付き振り向く。
その対面には、服の袖を捲っていた少女の姿。
問診中のような雰囲気の中、驚きに見開かれた青の眼差しがこちらを見上げてきた。


「……国木田さん」


聞き慣れた声が名前を呼んでくる。
脳裏で彼女の掠れた声が、熱を帯びた青が、今の視界に重なる。


――重ねた手に寄せられた唇の柔らかさを、思い出す。


「な、なぜここに」


慌てて言った声はなぜか上ずった。
彼女はというと、素早く袖を下ろして腕を背中に隠そうとする。
が、与謝野の手がそれを許さなかった。
ガッ、と手首を掴まれたクリスは、せめてもの抵抗にともう片方の手で腕の関節の内側を隠す。


「な、何でもないんです、えっと、その」

「隠し続けるのも無理があったのさ、諦めな、クリス」


与謝野はニヤリと笑い、作業を再開した。
机の上に置いていた薄い幅広のテープのようなものを手にし、それの粘着面に貼られた紙をペリリと剥がす。
与謝野に促され、クリスは国木田をちらと見た後、仕方なしに袖を再び捲り上げた。
クリスが隠そうとしたものが露わになる。

赤黒い――いくつもの、注射痕。


「点滴だよ」


国木田の無言の戸惑いに答えるように与謝野が言った。
手にした肌色のテープをそこに乗せ、馴染ませるように手のひらで貼り付ける。
赤黒い点群は薄っすらと見えづらくなった。


「この間からたまに来てたのさ。クリスはアンタに隠したかったみたいだけど」

「……体の調子が悪いのか」

「ずっと前からです」


袖を下ろして手首のボタンを留めながら、クリスは呟くように言った。


「……ギルドに入ってからずっと。記憶にはないけど、故郷でも栄養剤は注射されていたんだと思います」

「どういうことだ」

「栄養が十分に摂取できないんです」


彼女は言いながら立ち上がり、上着を羽織る。
こちらに目を向けてこないのは、注射痕を見られた気まずさからか。


「食事では足りなくて。わたしにとって食事は趣味でしかないんですよ。……そんなことを知られたら、きっと申し訳なさそうな顔をすると思ったから言えませんでした」


そうかもしれない、と国木田は思う。
何も知らなかったことへ、そして彼女がやはり普通ではないことへ、国木田は何かしらの感情を抱かずにはいられない。
それを彼女は察し、嫌がった。

ならば、それに応えるのが正しい対応なのだろう。
なぜ言わなかっただの、どうしてそうなっただの、そういった相手を問い詰めることは言わない方が良いようだった。
しかし沈黙のままでは気まずさが増す。
何か、機転の利いたことを言わなければ。


「……その、探偵社に来る前はどうしていた」


与謝野がじとりと睨んできたのは、話題が変わっているようで変わっていなかったからだろう。
こういった咄嗟の発想は苦手なのだ、勘弁して欲しい。


「ここに来る前ですか?」


クリスは人の良い笑みを浮かべて答えてくれた。


「病院に行ってましたよ。非合法の、ですが」

「闇医者か」


思わず眉をしかめる。
闇医者には法外の金で不適切な処置をする輩が多い。
彼女にとって点滴が命綱ならば、それをそのような者に託すのはあまりにも危険だ。

国木田の思考を読み取ってか、クリスは笑みを深めて続ける。


「正規の医者より安心できるんです、わたし達のような者には」

「安心できるだと? なぜだ」

「それは」


ふと言葉を切り、クリスは何やら考え込んだ。


「……宿題にしましょうか」

「は?」

「今日も花袋さんのところに行くんですよね? わたしも行きたいので、その時までの宿題にしましょう」


クスクスと楽しげな彼女に、国木田は大きくため息をついて額に手を当てた。
どうにも彼女に弄ばれている感が否めない。


「……俺が行くのは奴の部屋の掃除の続きだ。なぜあなたまで」

「花袋さんに渡すものがあるんです。それだけですから」

「なら少しは掃除を手伝え」


普段の仕返しとばかりに言えば、クリスは「え」と固まった。
しばらく視線を彷徨わせ、何か言いたげに口ごもり、そして不満そうに目を座らせて小さく頷く。


「……少しなら」

「良し」


その回転の良い頭の中で、断った時の国木田の反応を予測し、最も最適な返答を考え出したのだろう。
クリスもそうだが、国木田も互いの思考を先読みできる程度には相手を理解してきている。

それは、共に過ごした時間がもたらしたものだ。
彼女の存在を知り、笑顔を見、怒りに触れ、涙に気付き、触れてくる手の震えを感じ取る中で築いてきた感覚。
出会った当初ならば、彼女の笑顔を見分けることもできなかっただろう。
彼女の年相応の不貞腐れた顔を見ることすらなかっただろう。


「何だいアンタ達、まるで夫婦みたいな間合いの良さじゃないか」


与謝野がけろりとした様子でそんなことを言う。
思わずクリスの方を見てしまったのが運の尽きだった。

彼女もまた、国木田を見上げていた。
澄んだ湖面の縁を彩る、鮮やかな新緑。
太陽を思わせる金に輝く亜麻色の髪。


――口付けた髪の柔らかさを、思い出す。


カッと熱が顔に集まってきた。


「な、何をッ夫婦というのは正当な手順を踏んで結婚した二人のことを言うのであってだなッ!」

「あーはいはい」

「聞き流すなッ!」


与謝野がどうとでも良いとばかりに片手をヒラヒラと振る。
やはり国木田の同僚は皆話を聞かない。
何もかもが予定外、理想と著しく異なる。


「国木田さん」

「何だ!」


クワッと与謝野に怒鳴っていた勢いのままそちらへと向く。
しかしそこにあった表情に、国木田は呆然と固まった。


「夫婦って、どういうものなんですか?」


彼女は心底不思議そうにしていた。


「カップルとはまた違うものなんでしょうか……?」


異国の常識を問うているような表情で、クリスは目を瞬かせた。






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