第4幕

□幕開ける日曜日
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ふ、と目を覚ます。
薄暗い。
まだ夜明け前か。
いつの間に眠ってしまったのだったか、とぼんやりと考えつつ――自分が布団の中で眠っていたことに気が付いた。
重さのある綿の塊が、手足を上から押し留め、ぬるい体温を閉じ込めている。
体温。
ぬくもり。
人の、ぬくもり。


――赤色の。


「……ッ」


息を呑む。
体が硬直する。
瞬時に意識が覚醒する。
そうしてようやく、クリスは今の状況を把握した。


「……え?」


目を瞬かせる。
それでも眼前の光景は変わらず、そっと目元を擦ってみたがやはり何も変わらなかった。

国木田がいた。
横になり、自身の腕を枕にして眠っている。
眼前で、もう片方の腕でクリスを抱き込むようにしたまま、眠っている。


「……ッ、うぁ」


喉を閉じて声が出るのをかろうじて防ぐ。
顔が熱いのは布団に潜っていたためか。
ならばと布団を剥ごうにも身動きがままならない。
どうして、と頭の中をその単語がぐるぐると渦巻く。

思い出した。
夜遅く帰ってきた国木田をどうにか騙して部屋から出て行ってもらおうとして、なら実際に寝ているところを見せれば良いのだと思い至って、手近なところにあった効き目の短い睡眠薬を飲んだのだった。
国木田ならそれだけでクリスを放置して行ってくれると思ったのだ。
けれどなぜ国木田はここにいるのか。
しかもなぜ、横に。

混乱で思考がまとまらない。
自分は何を間違ったのだろう。
知らぬ間に誘惑でもしてしまったのだろうか。
それはなかったと信じたい。


「……ん」


もぞ、と国木田が動く。


「ふぇあぁわ……!」


びくりと肩を竦ませ、口を押さえて喉からオロロとこぼれそうな声を殺しながらクリスは必死に思考した。
戦闘時に並ぶほどに、様々な思考を脳内で練った。

とにかく何事もないまま朝を迎えなければならない。
そのためには国木田を朝まで起こさないことが第一だ。
となると自分は微塵も動こうとしない方が良い。
国木田のことだ、恐らくはこの状態は国木田が図ったものではなく、何やかんやあってこうなってしまったのだと思われる。
国木田が己の「夜間は顔を合わせない」という宣言をすすんで破るとは思えないからだ。
ということは国木田が今目を覚ましてしまったら、一番にするであろう行動は。


――ぬおおおおッ!


悲鳴を上げてクリスから離れ、悪かった何もしていないと叫びながら居間へと逃げ込む。

そんなことをされてはこちらだって意識せずにはいられないではないか。
今はこうして平静でいるものの――至って平静でいるものの、そんなことをされてはいくらクリスでも何事もなかったかのように「おはようございます」とは言えなくなる。
気まずい朝は御免だ。

と、平静時には考えないような蛇行した思考をした結果、クリスはそのまま眠ったふりをすることにした。
目を閉じ、布団の柔らかさに身を委ねるのだ。
それは恐ろしいことだった。
できれば今すぐ抜け出してしまいたい。
国木田の焦りなど気にもせず、外の冷たい風を浴びに行きたい。

そんな思いを必死に押し込めて目を瞑る。
暗闇が目の前に広がる。
震える体を丸めて、身を強張らせる。
ぬるい体温が全身を包み込んでいた。
鼻先に鉄の臭いが蘇ってくる錯覚。
逃げ出そうとする体を両腕で掴む。息を止める。

苦しい。
怖い。


――ポン、と背中を優しく叩かれた。


息継ぎをするようにハッと目を見開く。
しかし顔は上げられなかった。
クリスの様子を知ってか否か、背中に回された手は再度宥めるようにポンと叩いてくる。

それは、遠い過去の優しい手つきを思わせた。
優しい人の、優しい手。
名前を呼んでくれて、何度も会ってくれて、いろんなことを教えてくれて、一緒に笑い合いながら日々を過ごして――死にたくないと願いながらクリスのために死んだ、クリスの全てを偽装し全てを作り上げた研究者。
そうはわかっていても懐かしくなる、大切な友人。
彼に抱いていたものと同じ――けれどそれよりも些か苦しい心地が、こみ上げてくる。


「……ッ」


何かを口走ってしまいそうだった。
それを隠すように、クリスはそっと身じろぎした。
少しだけ国木田へと近付き、その胸元へと額を寄せる。
それに応えるようにクリスを抱き込んでいた腕が更にクリスを自らへ近付ける。

胸がつきりと痛い。
頰が熱い。
頰だけでなく全身が熱い。
その熱さの中で、クリスはふわりと漂ってくるあたたかさに目を閉じる。
ふ、と全身が脱力する。


――何も怖くなかった。


自分が恐れていたものは何だったのかわからないほどに、国木田のぬくもりが混じる布団の中は心地良かった。






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