閑話集

□君の手を引く
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第2幕後
夏の話
浴衣を書いてみたかった。


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「夏祭り、ですか?」


駅から帰る道中、クリスはきょとんと与謝野を見た。

ホームで偶然顔を合わせた与謝野は買い物帰りのようで、賢治を連れている。
賢治はというとその小さな体に似合わないほど高く積まれた荷物を軽々と運んでいた。
さながらサーカス団員のような賢治は周囲の目を集めている。


「そ。今度の土日にね。そこに探偵社も顔を出すのさ、勿論仕事でね。警備服の人間がいちゃ盛り上がるものも盛り上がらないってもんさ」

「探偵社の社員はみんな、私服同然ですからねえ」


民衆の背丈の倍以上に積み上げられた荷物を難なく持ち運びながら賢治が笑う。
あれで前が見えているのかはわからないが、むしろ行き交う人々が賢治を避けているようなので大丈夫なのだろう。


「それで警備スケジュールの立案に国木田さんが躍起になってて、乱歩さんは事前に調べ上げた出店の巡る順番を考えていて、太宰さんは敦さんに夏祭りのあることないこと吹き込んで遊んでいて、谷崎兄妹の間ではいつにも増して放送禁止用語が連呼されてて、鏡花さんはやる気満々に小刀を手入れしていると」

「言ってしまえばいつも通りなんですよ」


のほんと賢治が言う。
確かにそうだ、別段困った事態ではない。
なのに与謝野は盛大にため息をついた。


「いつも通りすぎて大問題さ。これは地元の祭りを無事に終わらせる一種の任務だ。このままじゃうちらが祭りで大騒動を起こしちまう」

「な、なるほど」


容易に想像がついてしまったのは、想像力が豊かになったという認識で良いのだろうか。
それとも、彼らのことをより理解できるようになったということになるのだろうか。
いずれにしろ心底から喜ぶには何か違う気がする。


「そこでアンタにも手伝ってもらえないかと思ってね」

「夜ですよね? 劇団の仕事の後でしょうし、構いませんが……何をするんです?」

「まず第一に太宰の悪巧みを阻止する。第二に谷崎達がヒートアップしてきたら殴ってでも制する。第三に乱歩さんが迷子にならないように見張る。主に三つだ」


ものを数えるように、与謝野は指を伸ばしていく。


「……主に、ということは……」

「細かく数えるとキリがないからね。来賓として社長が呼ばれてる祭だ、社員が粗相をするわけにはいかないのさ。乱歩さんは妾が側にいるし、谷崎達には賢治についてもらおうと思ってる。賢治ならさすがの谷崎達も自粛するだろうしね」

「賢治君に殴られたら谷崎さん達のお命が危ういですもんね。……それで、わたしに太宰さんの目付け役を?」

「いや、太宰には何をしても無駄だろうから、太宰から国木田を守ってやって欲しいのさ。奴の標的はきっと敦と国木田だ、鏡花には話をしてあるから敦の方は問題ない」


だから鏡花は小刀の手入れに専念しているのか。
守る、の程度を間違えている気もしなくはないが、さすがの太宰も鏡花相手にちょっかいを遂行する度胸はないだろう。
安心できるような、一周回って不安になってくるような。
心強いことは確かだ。


「全く、祭りの日くらい、大人しく川を流れていて欲しいものだけど」


与謝野が呆れたように何度目かのため息をつく。
祭りの日に自殺未遂をされてはそれこそ迷惑になるのでは、という意見は胸の中にとどめておいた。


「……夏祭り、か」

「クリスさんの故郷には夏祭りはあったんですか?」


賢治の問いに、クリスと与謝野は同時に息を呑んだ。

賢治には悪意などない。
それもそうだ、賢治はクリスの過去を知らない。
クリスの故郷が軍事施設だったことなど、彼は知らないのだ。


「……いえ」


だから、笑って誤魔化すしかない。


「イースターとかクリスマスとかはありましたけど」

「イースター?」

「春のお祭りです。復活祭ですね。日本にはあまり馴染みがないイベントだと思いますよ」


へえ、と目を輝かせる賢治に笑顔を向ける。
彼の無邪気は他者を救うものだ。
クリスのような、人に言えない何かを隠している人間にとって、賢治の存在はどこまでも明るく心地良い。


「キリストの復活を祝う祭りだね。卵とウサギが象徴的な祭りだ」


与謝野が様子を窺う素振りを見せつつ話題に乗ってくる。
言外に大丈夫だと伝えようと、クリスは明るい声で答えた。


「ええ。卵は生命の始まりを、ウサギは繁栄を意味します。日本の夏祭りは何を祝うんです?」

「いや、祝うというよりは願うのが主だね。元は豊作だとか健康だとかを願ったり、慰霊の意味があったりしたけど、今じゃ皆が花火を見たり屋台で遊んだりするのが主な楽しみ方さ」

「花火?」


目を丸くしたクリスに、与謝野は驚いたように目を瞬かせた。


「まさか知らないのかい?」

「いえ、知ってます。知ってるんですけど、楽しむというイメージがなくて」


花火は音が大きいこともあって人の目を引く。
祝い事などで盛大に打ち上げられるそれは、暗殺や裏取引に最適だった。

それだけの存在なのだ、クリスにとっての花火は。
だからそれを楽しむという発想がない。

けれど、とクリスは色鮮やかな爆発物を思い出し、一人頷いた。


「……確かに、普通の爆弾より楽しめるかもしれない」

「良い機会だ、見てみると良いよ」


与謝野が優しく微笑んでくれる。
クリスのことを初めから気遣ってくれていたこの女医は、クリスの過去と危険性を知ってもなおその気配りを辞めない人の一人だ。
彼女が見せかけだけの優しさでクリスに接しているのではないことなど、見ればわかる。


「……はい」


頷けば、与謝野はさらに笑みを深めた。





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