閑話集
□聖なる夜には早いけれど
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第2幕後
クリスマスのちょっと前のお話
文マヨの降臨祭国木田さんが素晴らしすぎた…
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街は様変わりしていた。
ほとんどの木々は電飾を枝に引っ掛け、あらゆる店内にはキラキラのモールが半円を描きながら壁を縁取り、どこからともなくクリスマスソングが流れてくる。
時は冬、一年の最後の月の上旬、とある午後。
「何だか凄いですね」
クリスは踊るようにくるりと街を見回した。
「もうこんなに飾られてる」
「いつものことだ」
隣を歩きながら国木田は平然と答える。
「これが終われば正月飾り、次は節分、次は端午の節句……何もない日などそうそうない」
「皆さんイベントがお好きなんですね」
「というより商売魂だろうが……」
「それで」
くる、とクリスは国木田を振り返った。
青が輝く。
疲労の欠片を見せない、祭りを楽しむ子供のような煌めき。
「どこに行きましょうか?」
「俺に聞くな。出かけたいと言ったのはあなただろう」
「そうなんですけど……迷うなあ」
うーん、と彼女は品定めをするように周囲を見回した。
今月に入ってからというもの、クリスは相当忙しいようで探偵社へ全く顔を見せなかった。
今日は久し振りの休日らしい。
貴重な時間だというのに国木田との外出を望むのだから、この子は変わっている。
「あ、じゃあ」
軽い足取りで跳ねるように振り返り、クリスは国木田を見上げた。
切り揃えられ緩やかに癖の入った髪が亜麻色をふわりと広げる。
花のような香りが鼻に届く。
ストールを羽織ったグレーのニットに、ウエストから膝下までを覆うスカート。
その落ち着いた紺の裾は彼女が歩くたびに揺れた。
線の細い黒いブーツが彼女の華奢さを強調している。
普段は動きやすさを重視しているクリスだが、たまに年相応の服装をして国木田を驚かせる。
今日は大人びた印象が強い。
「クリスマスっぽいことをしたいです」
「何だそれは」
「わたし、来月の下旬まで国木田さん達にお会いできないと思うんです」
思わず立ち止まってしまった。
「……え?」
「一番の稼ぎ時ですからね。クリスマスと正月」
そう言って彼女は何の問題もないとばかりに笑う。
「早朝から深夜まで、公演続きが一ヶ月。一週間に一日は休演日があるけど、それは公演がないだけで稽古の日です。いくつかの演目を上演するので……でも毎日声を張り上げるわけじゃないですよ? 脇役の時もあるし、舞台に出ない日もあります。だから体調的には余裕のある予定を組んでもらってますし大丈夫なんです。……でも」
クリスは再び街を見回した。
「探偵社ではクリスマス当日にパーティーをするんですよね? それに参加できないから……ちょっと寂しくて。皆さんとクリスマスを過ごしてみたかったんですけど」
その横顔は残念そうではあるが悲しげではない。
その職を選んだ以上、腹を括っているのだろう。
そうか、と国木田は相槌を打った。
仕事ならば仕方がない。
社のクリスマスパーティーへの誘いを「仕事なんです」とあっさり断られた時は衝撃で言葉が詰まったが、仕方のないことなのだ。
「こんなに早くからクリスマスの雰囲気があるなら、一足早くクリスマスを楽しんでも良いかなあって……」
彼女にしては珍しく、語尾がはっきりとしない。
こちらの様子を窺うようにチラチラと視線を向けてきている。
「何だ」
「そ、その、ご迷惑じゃないなら、その……」
何かを言い出すことを躊躇うように、彼女は軽やかさを失った頼りない様子で、握りしめた両手を胸に当てる。
華やかながら落ち着きのある着飾りをした彼女がさらに儚く小さくなったような錯覚。
「わ、わたしと……」
妙な汗が首筋や手に滲んでくる。
――クリスマスっぽいことをしたいです。
先程の言葉が脳裏に繰り返される。
聞かなかったことにしたいと思っていても、その言葉は耳から離れようとしない。
クリスマスっぽいこととは何だ。
クリスマスといえば、飾り付けられた街、道を行く人々、ケーキ、クラッカー、後は。
後は。
暑くもないのにドッと汗が湧き出てくる。
着飾った彼女が国木田と二人での外出を望んだ辺りから察するべきだったか。
否、自分達はそういう関係ではない。
そういうはずがない。
ではなぜクリスは探偵社の皆ではなく国木田一人との外出を希望したのか。
ぐるぐると思考が回る。
段々と吐き気すら込み上げてくる。
「わ、わたしの……その、あの」
「クリス、待て、落ち着け、そういうことは、順序というものがあってだな」
「わたしのプレゼント選びを手伝ってください!」
「まずはそうだ、飲食店かどこかに入って、落ち着いて、話を……ん?」
はた、と国木田は止まった。
何か国木田の予想と違う言葉が聞こえてきた気がする。
きゅ、とクリスは胸元の両手をきつく握りしめ、そして国木田をそっと見上げる。
「た、探偵社の皆さんにクリスマスプレゼントを渡したいんです。でも、皆さんの好き嫌いとか全然わからないから……国木田さんに手伝っていただきたいんです。プロの諜報員がお恥ずかしいんですけど」
クリスは心底申し訳なさそうに目を伏せる。
「まさかプレゼントを渡そうだなんて思うほど仲良くなれるとは思っていなかったので、全然調べてないんです。もう探偵社に遊びに行く時間もないし、恥を忍んで国木田さんに協力していただこうと……国木田さんの好みならだいたい把握しているので、その他の方のことを教えていただきたくて……あの、国木田さん?」
ようやく気付いたのだろう、クリスが国木田の顔を覗き込んでくる。
その視線から逃げるように顔を逸らし、国木田は額に手を当てた。
クリスなら国木田が今考えていることを表情から読み取れてしまうだろう。
それは避けなければならない。
何としてでも避けなければ。
「いや、何でもない」
「え、でも、顔が」
「良いから行くぞ!」
なおも覗き込んでくるクリスを振り切り、国木田は歩き出した。
待ってください、とクリスが追いかけてくる。
追いつかれまいと速度を速めた。
「速い、速いですちょっと待って!」
「そういうことは先に言え! 勘違いしかけただろうが!」
「勘違い……? ハッ、まさか国木田さん、わたしが『今から国木田さんの家でクリスマスパーティーしましょう!』とか言うと思ったんですか? それも良いですね!」
「良くない!」
国木田を引き止めようとクリスが服の袖を掴んでくる。
「引っ張るな」と言えば「じゃあゆっくり歩いてください!」と言い返された。
これではまるで戯れているカップルではないか。
良くない。
非常に良くない。
諦めて普段通りの歩く速さに戻せば、クリスもまた袖から手を離した。
また、二人並んで歩き出す。
互いを引き止めるような仕草も、触れ合う動作もない、単調で淡白な距離感。
これで良いのだと思う。
これ以上近付かなくとも、掴んでおかなくとも、彼女は隣にいてくれるのだから。
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