閑話集
□其は花の夢の如し
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【1周年記念】
第3幕共喰い前※刺激的描写有※性描写なし
国木田さんと媚薬(?)
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唐突な問いに国木田は文字通りひっくり返った。
椅子から滑り落ち床へと背中を打つ。
どんがらがっしゃん、と様々な物が机から落ちた。
腹の上に資料束がドサドサと山を築く。
いつの間にか社屋の天井を見上げていた国木田の視界のすみに、ひょいと顔が覗き込んできた。
「だだだ大丈夫ですか国木田さん……!」
かなり驚いた様子の敦だ。
それと、もう一人。
「おやまあ」
自分の席の椅子に膝立ちになってのんびりと国木田を見下ろし、事の発端こと突発性迷惑発言病の自殺愛好家が「にょほほ」と奇妙な笑い声を上げる。
「これだから国木田君は飽きないねえ」
「貴様……」
「でもさ、いい加減誰もが気になることじゃない? ねえ敦君」
「い、いや、別にそんな」
太宰に同意を求められた敦が肯定も否定もしない曖昧さで顔を赤らめる。
そんな後輩の様子に「ほらご覧よ」と太宰は嬉しそうに声を上げた。
「何だったら他の皆にも聞いてみようか? 谷崎君もそろそろ仕事から帰って来るし、与謝野先生は医務室にいるし」
「奴らに聞いたところで貴様の望む答えは返って来んぞ」
「君が最近御用達のうずまきの店長にも聞いてみようか? ああ、何なら商店街の八百屋のおばちゃんとか」
「待てそれだけは止めろ!」
怒鳴りつつガバリと上体を起こす。
他所様にそんな話をするものではない。
これは内密な問題、いや何も問題ではないが、そう、つまりプライベートな話だ。
八百屋のおばちゃんに伝わったらヨコハマ全域に噂が広まるではないか。
「にょほほ」
再び奇妙な笑い方で太宰はニンマリと笑う。
「で? まだなの? ちゅー」
「まだも何もあるかこの破廉恥が!」
怒鳴り手元に落ちていた書籍の一つをぶん投げた。
スパァン、と太宰の額にクリーンヒットする。
「おぶッ」
「そういったことを軽々しく口にするなド阿呆! 大体接吻というものはこういった公の場で話題にするようなものでもないし交際していない者同士がすることでもない!」
「接吻ってそんな、国木田君ったら……いやぁん」
「いやぁん、ではない言い出したのは貴様だろうが!」
両手で頰を覆い照れたように腰をくねらせた男へ向かって、続けてもう一冊投げ込む。
が、今度はパシリと手で受け止められてしまった。
ふ、と得意げな顔で額にたんこぶを作った太宰が笑む。
「落ち着きたまえよ」
「誰にそれを言っている」
「照れることはないさ、誰だって最初はある」
「だから貴様は何を言い出しているのだ貴様は!」
「まあ国木田君のことだから雰囲気作りが大変なのだろうけれどもね。何たって国木田君、クリスちゃんより経験なさそうだし」
おろおろと居場所なさげにしていた敦が「経験……」とそれを復唱する。
待て、と国木田は太宰へ手のひらを押し付けるように向けた。
「こ、こら太宰、敦が聞いているだろうが!」
「余程強引にリードできないと彼女に手綱を握られてしまうよ? まあ君がそういう趣味だったならお好きにどうぞだけれども、やはり女性というものは男に誘導してもらいたいものだし」
「だああああそれ以上口を開くな!」
ダァンと床を踏み締めて立ち上がり飛びかかるように太宰を掴み上げる。
手の中でその余計な声を出す首を絞め上げれば、太宰は「うふふ首が絞まっているよ国木田君うふふ」と青ざめた顔で笑った。
何だこれは気色が悪い。
「なぜ貴様はこういう時ばかりそうなのだ!今すぐそのペラペラと無駄なことばかり喋る口を永遠に塞いでやるわ!」
「いやん国木田君ったらそんな攻めゼリフどこで覚えてきたの?」
「【独歩吟客】! ガムテェェープ!」
手帳の紙片がすぐさま念じた通りの形に変じる。
ベリリィッと手にしたガムテープを剥離し太宰へぐるぐる巻き付けた。
これでもか、これでもかと巻けば「苦し苦し」と包帯男ならぬガムテープ男はもがき始める。
慌てて敦がテープを剥がしに行く。
その様子を見下ろしつつ国木田は軽く咳払いをして喉の調子を整えた。
「いかん、手帳のページを無駄に消費してしまった」
「……さすがに死ぬかと思ったよ。なるほど黄泉比良坂は本当に金色だったようだね。参考になった」
窒息死から救われた太宰は「ありがとう敦君、おかげで苦しみながら死なずに済んだ」と言いながら訳のわからないことを口走っている。
黄泉比良坂が金色だなどと誰が言ったのか。
それに参考とは何だ。
「女性を心中に誘う文句のネタだよ」
「聞いてもいないことに答えるな」
幸いと言うべきか、今現在探偵社のこのフロアには太宰、敦、国木田の三人しかいない。
でなければこれほどふざけたやり取りができるはずもなかった。
全く、と国木田は席に戻り、周囲に散らばった書類を整頓し机の上に置き直す。
妙なことばかりを言う同僚など捨て置いて、仕事に戻らなければ。
そう考えた国木田だったが、太宰の考えは違ったらしい、「でもさ」と机越しに国木田を覗き込んでくる。
「重要だと思うのだよ、女性へのリード。そういう場面になった時に何もできないでいるとフラれるよ?」
「その手の話は交際相手がいる奴としていろ。俺は仕事で忙しい」
「君の恋人は仕事だものねえ……そもそも君達まだ付き合ってなかったの? あんなに一緒にいるのに」
「やかましい。交際というものは結婚を前提に真摯に行うべきだ。知り合いだからという理由で行うような軽々しいものではない」
「そんなこと言ってえ。ま、それが国木田君らしいんだろうけど。でもそうやって気付かないふりしたままだと、いつか奪われるよ? 彼女有名な舞台女優だし、見目も悪くないし」
「太宰」
トン、とファイルを机の上に立てかける。
そして向かいの席に立っている軽薄な男をじろりと睨みつけた。
「……その話はするな」
「何で?」
「何でもだ」
「ふーん」
いやに素直に太宰は引き下がった。
これでやっと静かになるか。
そう思ったがやはりそれほど簡単に丸く話が収まるはずもなかった。
太宰は「なあんだ」と大きな声で大袈裟に肩を上下させ、ガタンと椅子に座り込む。
「残念、君にとっておきを教えてあげようと思ったのに」
「お前から学ぶことなど自殺方法くらいしかないだろうが」
「ま、自殺のプロだからね、私」
自殺のプロとは何だ。
「そうか、じゃあこれは敦君にあげようかな」
そうわざとらしく大声で言って、太宰は手にした何かを見せつけるように軽く振った。
小瓶だ。
チラとそれを見「またくだらん毒物か」と言い返そうとし――ちらりと見えた小瓶のラベルにハッと気が付いた。
『太宰特製媚薬』
媚薬。
「――おんどりゃああああ!」
椅子を跳ね飛ばして立ち上がり机に片足を乗せ、敦がそれを見る前に分捕る。
成功、小瓶は国木田の手の中にすっぽり収まった。
「何しとるんじゃあ!」
此奴、毒キノコに飽き足らず薬物の類にまで手を出し始めたのか。
太宰はというと小瓶を奪われた手をひらひらと振りながら「欲しかったのならそう言ってくれれば良いのに」などとほざいている。
「仕方ないなあ、じゃあそれ国木田君にあげるよ」
「要らんわ!」
瓶を割りかねないほどに強く握り締めつつ怒鳴る。
媚薬、しかも太宰が作ったなど怪しいことこの上ない。
飲めようはずもないし、そもそも薬物に頼るなど言語道断である。
いや、頼るも何もそういう気は全くない。
「こんなものを敦に渡そうとするな。全く……捨ててくる」
宣言し席から立ち上がれば、太宰は「ええーッ」と大層わざとらしい様子で不満そうにした。
「私のなのに!」
「没収だ没収! よりによって女性に困らな……女性にも安心して依頼してもらえるような会社でなくてはならんというのに、なぜ貴様は恥を知らんのだ!」
「謹厳実直な男だからね私」
「その四字熟語の意味をもう一度調べておけ!」
なぜそこで嬉しそうに満面の笑顔を浮かべられるのだこの男は。
小瓶を握り締めて給湯室へと向かう。
中身をゴミ箱に放り込み、瓶は洗って空き瓶置き場に置いておこう。
そう誰にともなく心の中で言い聞かせた。
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