幕間 -林檎編-

□反撃、開始
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敦と鏡花は駆けていた。
背後から殺気が追いかけてくる。
奴の足が地面に触れるたび、地面が振動し破片が宙を舞った。

巨大な獣だ。
破壊者たるその獣は、道端に放置された車を次々と跳ね飛ばし、衝突させ、爆発を引き起こす。

夜の街には人の気配はない。
忽然と消えてしまっていた。
乱雑に並ぶ車にも、ファストフード店にも、交番にも、どこにも人がいない。
半端に開かれた荷物や食べかけの食べ物だけが、彼らがそこにいたことを示していた。

周囲には霧。
視界が悪い。
運転手を失った車達の群れの中を走りながらも、敦の耳には背後から追いかけてくる脅威が届いている。

地面が揺れる。
爆風が背を押す。
逃げなければ、走らなければ。

あの獣が何かもわからないまま、敦は鏡花を追うように霧に包まれる全てを奪われた街を走る。

その緊張感からだろうか、それとも視界の悪さからだろうか、敦は地面に横たわったものを回避することができなかった。


「うわッ!」


盛大に躓き、顎から地面に落ちる。
まずい、と急いで起き上がり獣の位置を確かめようと後ろを振り返った。
獣はいない。
まだここまで来ていないのだ。
しかし安堵する間もなかった。

地面に横たわっていたものが、意識を取り戻したかのようにゆっくりと体を起こす。
人だ。
自分と鏡花以外の、人。
しかもそれは見慣れた背格好をしていた。

束ねられた長髪、性格を表したかのようなきっちりとした服装。

敦は驚愕した。


「国木田さん……?」

「……敦か」


弱々しく発された声に疑問を呈す前に、敦の目に赤が飛び込んでくる。
左脇腹、心臓の下。
服を汚し国木田の手をも汚したその赤は、今も雫を零している。


「その傷……撃たれたんですか?」

「弾は抜けている。問題ない」


見た限り問題ないとは思えない。
傷の位置も悪いし、顔色も悪い。


「一体誰が」


周囲は異能者を自殺に追い込む霧。
人々は消えている。
切迫したこの状況下で誰が国木田を襲ったのか。


「……お前達はまだ会っていないのか」

「え?」

「じきに来る。油断するな」


国木田が脂汗をにじませながらも忠告してくる。
何が来るというのか。
思いつくのはポートマフィアだが、今はもう以前とは違う。
社長から衝突を避けろと言われているし、ポートマフィアも首領から同じことを言われているという。

なら何だ。
腕利きの国木田の急所付近を撃ち抜いてみせた相手は、誰だ。

敦の思考を妨げるように振動が地面を揺るがす。
ハッとそちらを見た。
車が潰され、信号機がへし折られている。
その上に佇む、牙を剥いた獣。
四つ足のそれは、憎いものを見るかのように敦達を睨みつけてくる。

その眼差しに恐怖が湧き上がる。


「追いつかれた……!」


獣の強さを表現するかのように、その足元で信号機が漏電した電気を宙に放出している。
小さな雷だ。

国木田が腰から銃を取り出した。
数発、獣へと撃つ。
あれほどの巨体に拳銃が通るのか――敦の疑問は答えを得なかった。
国木田の撃った弾は獣の足元へと撃ち込まれたからだ。
獣の足元で潰れた車から、ガソリンが漏れていく。

瞬間、火花がそれへと散る。


――ドオォン!


爆風が獣を覆い尽くす。
気化したガソリンに引火したのだ。


「走れ!」

「安全な場所に心当たりがある。来て」


国木田の指示と同時に鏡花が駆け出す。
予期せぬ爆風に気を取られていた敦は慌ててその背を追いかけた。
国木田もまた、息を詰めながら鏡花の後を追う。
走りながら、敦は思う。

あの獣。
あの殺気。

覚えがある。

それはきっと、かつての己が恐れたもの。
かつて己は、あれに追われていると錯覚していた。
孤児院の畑を荒らし、そこから追い出された後も、あれはついてきて。


「……まさか」


あれは幻覚だったはずだ。
勘違いだったはずだ。
この身に埋まる、野生の暴力。

それが今更、現実となって敦を追い立ててきた。


「こっち」


鏡花が路地裏の狭い通用口を開ける。
敦にはもはや、ここがどこかもわかっていない。
ポートマフィア時代の経験が活かされているのか。

普段から人気がないのであろう狭い路地に転がり込み、しっかりと戸を閉め、三人はようやく息をついた。
と、国木田が呻く。

そうだった、彼は怪我をしていたのだ。
先程は緊急だったせいか彼の意思の強さ故か走ることができたが、あの獣がここに辿り着いたとしたら、国木田は逃げ切れるかわからない。

タッ、と鏡花が駆け出す。
まだ何か策があるのだろうか。
名を呼んだ敦に振り返りもせず、鏡花はどこかへ行ってしまう。

あの獣がまだいるというのに単独行動は危ない。
しかし国木田を置いて追いかけることもできず、敦はひとまず国木田と共に路地裏に腰を下ろす。


「……早く与謝野先生に診せないと」

「与謝野先生も同じ状況だ」

「え?」

「与謝野先生だけではない、社長も賢治も、おそらく谷崎も、それに――クリスも」


同じ状況。
彼らもまた、危機に瀕しているということか。


「この霧は澁澤龍彦の異能だ。内容は『異能者から異能を分離する』能力。クリスはそこまでしか言わなかったが、おそらくこの状況を考えると、奴の異能の効果はそれだけではない」

「異能を、分離する……?」

「異能を持たない者達は消えた。乱歩さんもな。そして分離した異能は俺達を襲ってきた」


理解したくないことが、パズルピースのような欠片となって敦の頭に集まってくる。
ぱちり、ぱちりとそれらが組み合わさっていく。

世界各地で発生した異能者連続自殺事件。
その現場に見られた白い霧。
それは、異能者から異能を分離する霧だった。
霧の蔓延した街からは人々が消え、そして。


分離した異能は、所持者を襲って来る。


「……まさか」

「まずは探偵社に行かなくては」


立ち上がろうとした国木田を支えようと手を伸ばす。

瞬間、息を呑んだ。


――殺気。


それも、冷えた刃を思わせる。

国木田の背後に斬撃がほとばしる。
いくつものそれは、呆気なく閉鎖していた通用口を破壊した。
その奥から姿を現したのは、夜叉。

細身の刀を構えた、白い女性の異能生命体。
見慣れたそれは、鏡花が所持しているはずの異能。


「【夜叉白雪】……!」


国木田が拳銃を手にする。
敦は何もできなかった。
異能者から異能を分離する能力。
それがこの霧ならば、自分の手元に異能はない。

どうする――恐怖に思考が停止し始めていた敦の耳に届いたのは鋭いブレーキ音だった。
振り向けば、白い車が路地の向こうに停まっている。


「乗って!」


運転席の鏡花が叫ぶ。
先程飛び出していったのは、車を確保するためだったのだ。


「走れ敦!」


叫び、国木田が銃弾を夜叉へと放つ。
それらが刀で弾かれる音を聞きながら、敦は走り出した。
鏡花の待つ車へ乗り込む。
国木田もまた、それに続いた。

二人が乗るや否や、鏡花がアクセルを踏み込む。
急加速を指示された車はギアを落とし、エンジンを唸らせた。





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