book 1

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事件が起きたのはその日の真夜中である。時計の針は今日とも翌日ともつかぬ曖昧な境界線ちょうどを指していた。万が一に備え大階段のある広間のソファーで仮眠をとっていたアレンは、パタパタと慌てたように駆け下りてくる足音で瞬間的に目覚める。
「レオさん、?」
「ウォーカー様……っ」
アレンは緊迫したようなその声にすべてを察し飛び起きて、闇夜の中に浮かび上がる階段の中途の灯りへ駆けつけた。ぼんやりと見えるレオの顔はかなり不安げだったが、手燭を彼へと手渡すその手にはちゃんと力が込められていた。

突き当たりまで急いで向かうアレンの視界の端に、大きな窓から覗き込む月が映る。膨らんだその貌は完全に満ちてはいないけれど、月光がかなり射し込んでいた。

聴こえる。

無機質でいて哀しげな旋律が、この夜を飾るように鳴り続けている。扉の前で言葉も出せず呆然と突っ立っていた使用人が、駆け寄るアレンにあからさまにホッとしたような表情を浮かべて脇へ退けた。軽く頭を下げてその隣を行き、かちゃり、と室内へ入ると、カーテンの開けられたコレクションルームには先程と同じ月明かりが立ち込めて薄藍色の影が浮かんでいた。
そして音の近くなった室内で、"それ"を見たアレンが呟く。
「どうして」
怪訝な顔をして、言葉の先が続かずに宙へと息は溶け込んだ。

ゆるやかに音楽は停止する。

ややあって、顔の真っ青なメイド長を連れたレオがコレクションルーム前に駆けてきた。使用人がしきりに中の様子を気にしているが、それに気がついたレオが彼を制して自ら部屋へ踏み入った。
「ウォーカー様。」
立ち尽くした真白い髪の青年の背に囁くような声を掛ける。いつの間にか静寂が包み込んでいる空間で、レオは人形たちに目をやった。何の変哲もない、見回りに来た時と全く同じ姿。彼らが奏でたのは、扉の前の使用人が自分を呼びに来た時の一瞬だけだったらしい。仕事として来た彼らに、苦労ばかりさせたくないと申し出た筈なのに、結局のところ無駄足をさせてしまったことが申し訳なくて、レオは唇を噛み締めた。しかし、未だに押し黙るアレンの脳内はまったく別のところにあったということを、レオは知る術もない。





翌日の正午、アレンはレオに頼んで昨夜番をしていた使用人の男のことを応接間に呼んで貰った。普段は剪定の手伝い等をする下使えの彼は、何故自分が今日の仕事を抜けてこの場に呼ばれたのか全く分からないといった困惑した様子だった。居心地の悪そうに辺りを見回す彼に、向かいへ座ったアレンとラビが苦笑を零す。
「突然お呼び立てしてすみません、アレンっていいます」
「えっ?……あ、いえ」
「聞いてるとは思うけどオレら黒の教団って組織から来たんさ。オレラビっす」
使用人は戸惑って眉を下げている。ふとその頼りなさげな姿に疑問を持ったアレンは、もしかしてと思い首を傾げた。
「英語は得意ではありませんか?」
分かりやすいようゆっくりと喋るアレンの言葉に、彼は勢いよく顔を上げて縋るような目付きで頷いた。すると声を掛けるまでもなく、傍で控えていたレオが近付き視線を送ってくる。それに「……お願いします」と返すと彼女は小さく微笑んだ。

「いくつかお聞きしたいことがありまして」

アレンの言葉を使用人の隣ですぐさまチェコ語に翻訳するレオ。彼女のことを横目で見ながら、ラビは鼻を鳴らした。チェコ語の方が得意だと言ったレオの言葉は本当で、特にアレンの発言を咀嚼するような素振りも見せず流暢に訳している。__彼女の容貌はヨーロッパの中でも北側諸国に近い系統だと思う。チェコ人ではないことは確かだ。しかし母国語が英語でもチェコ語でもない妙齢の女性が、何故この地でメイドとして雇われているのだろうか。ここが情勢的に強い国とあらば出稼ぎや最悪の場合身売りされて仕えていることも有り得るが、チェコは近年まで周辺国に支配されてきた歴史を持つ。独立という経歴から、まだ他国とは一線を画すようなこの国にそうそう外国人が紛れられるだろうか。見たところ、彼女のように明らかな異国の顔の造形をした者はこの屋敷に居ない。そうすると、ますますレオの身元が気になってくるのだった。
(って、またかい……)
思考の海に沈んでいた自分に気付き、ラビは内心苦笑した。人一倍好奇心の強い自分は、人間観察や諸々の詮索を無意識にしてしまうところがある。余計なことだと何度も師に諌められてきたことだったが人間の本能も易々と収められはしないと理解して欲しい。


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