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□第一幕 世界のオワリ
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「……っ!」



 びくんと体が震えた衝撃で、私は目を覚ました。

 浅く速い呼吸を繰り返しながら、私は首を振って辺りを確認する。

 大窓にはレースカーテンがひかれ、目の前の点きっぱなしのテレビでは子供向けのアニメが放送されている。その隣で、大人一人分はあるクリスマスツリーが、キラキラ光っていた。
 近代的で、ごく平凡な、一般家庭のリビング。

 どうやら、私は眠ってしまっていたようだ。

 視線を手元へやると、テーブルに突っ伏していた私の下敷きになったらしい、算数のドリルのページがくしゃくしゃになっている。
 これはまずい、と慌ててページを手で伸ばす。その手は、夢の中の「私」の手とは違って、紅葉のように小さかった。



「…………あつい」



 ページを伸ばし終えて、手で顔を扇ぐ。
 じっとりと、体に汗が滲んでいる。これはけっして、部屋の暖房が効き過ぎているからだけではない。

 あんな夢を――――自分が殺される夢なんかを見てしまったから。

 あの悪夢は、今に始まったものではない。物心ついた時からだろうか。その頃はまだ時たま見る程度だったが、最近は寝るとほぼ必ず見ている。
 展開も流れもすべてが同じ夢を、何度も何度も見続けていた。
 正直、見飽きていた。

 とはいえ、いくら夢といえど、自分が死ぬ追体験は、やはり慣れないものだ。

 顔は火照っているのに、体の芯は冷えている。あの悪夢のせいか……いいや、こんなところで寝たから風邪でも引いたのだろう。
 自分をそう誤魔化して、火照った頬を手で扇ぎながら、私はキッチンのほうを振り返った。

 私の家のリビングはキッチンとひと続きになっていて、カウンター越しに母の姿が見える。包丁で食材を切る音や、コトコトと鍋の煮詰まる音が聞こえてくる。
 ……ふむ。匂い的に、ビーフシチューだろうか。

 私は立ち上がって、ととと、とキッチンへ向かう。

 夢のなかでは私はもう少し大人だったが、現実の私はまだまだ子供で、歩幅がより小さく感じる。あのやけにリアルな夢を見た直後だからか、若干の違和感すら覚える。

 カウンターをまわり込んでキッチンに踏み込むと、さっそく母が私に気づいてくれた。



「んー? ご飯は、もうちょっとで出来るから待っててね、ゆかり。あ、もう今日のドリルは終わった? 冬休みの宿題、溜めちゃダメよ」

「もうおわったよ。おてつだいすること、ある?」

「まあえらい! ゆかりはいい子ねー。はい、お口あーん」



 母は本当に嬉しそうに笑うと、私より背の高いキッチン台からなにかを摘んで、私の目の前に持ってくる。

 フルーツの切れ端だろうか、それともお肉だろうか。なにせ、今日は泣く子も黙るクリスマスだ。きっと豪勢な食材をつまみ食いさせてくれるに違いない。
 と期待する間もなく、焦点が合ったのはミニトマトだった。

 なんだ、野菜か……。
 落胆しつつも、貰えるものは貰っておく。おとなしく口を開ければ、ミニトマトが入ってくる。



「もぐもぐ…………わたし、お肉がいい」

「お肉は、お父さん帰ってきたらみんなで食べましょうね」

「トマトはいいの?」

「トマトはいいのよ、お野菜だもの」



 では、夏のころに昼食前にスイカをつまみ食いさせてくれなかったのはなぜだろう。母よ、あれも野菜だぞ。

 仏頂面で考え込む私の、ミニトマトで膨らんだ頬を、母の指がつついた。



「お夕ご飯はもうちょっとかかるから、ゆかりはテレビ観て待っててね」

「はーい」



 子供らしい返事をして、私はキッチンを出る。
 するとそのとき、玄関のほうから鍵の回る音がした。



「あら、お父さん帰ってきたみたいね。ゆかり、お迎えしてくれる?」



 母の言葉通り、玄関へ向かうと父が帰ってきていた。
 出迎えた私を見ると、父は赤い顔でへにゃへにゃ笑って、私を抱きしめてくる。



「おおっ! 愛しの我が子よーーーっ!」

「うわ、おさけくさい」



 酒臭い息とジョリジョリの顎を擦りつけてくる父を、必死に押し返す。すると父は「あーゆかりが冷たいーーパパさみちぃーー」などと言いながら、口を尖らせた。

 おのれ酔っ払いめ……。酒臭い父の腕から逃れる方法を思案していると、ふと、父がなにか背負っていることに気づく。
 見るからに、上等そうな桐製の箱だ。



「パパ。それ、なに?」

「おっ、ゆかりには分かっちゃうか、分かっちゃうよなあ。今日はなんたって、クリスマスだもんなーーっ」



 父の言い分からして、クリスマスプレゼントだろう。
 しかし、小学校低学年の子どもが喜びそうな代物には見えない。

 ということは、母への? 桐の箱に入っている、母が喜びそうなもの…………。だめだ、予想がつかない。それも背負うほどに大きい箱だ。尚更、わからない。



「フフフフフ、ゆかり、今年のクリスマスプレゼントは凄いぞーー」



 父はニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべながら、箱を床へと下ろす。

 紫の紐で縛られて背負われていたその箱は、細長かった。子どもの私が両腕を広げたぐらいの長さはあるだろう。
 どうやら私へのプレゼントらしいが、少なくともゲーム機やお人形さんの類ではなさそうだ。



「これがわたしのクリスマスプレゼント? ゲームがよかった」

「チッチッチッ…………ゆかり、これはな、ゲームよりも凄いんだぞ」

「ゲームよりすごい? なあに?」

「なんだと思う?」

「んー。金属バット」

「あっはっはっは! ゆかりは時々物騒なこと言うなあ」



 父は豪快に笑いながら、箱を縛める紐を解いていく。そうして紐が解かれ、父はゆっくりと蓋を持ち上げた。

 箱の中には、紐と同じ紫色のクッションが詰め込まれている。

 クッションのなかに、「それ」は寝かされていた。
 金属バットなどよりもずっと細長く、より物騒で、そして金属バットなどよりよっぽど華やかな装いの。

 刀だ。

 日本刀だ。

 紫色の地に、雪かもしくは白の花弁を散らしたようなその美しいは、相も変わらず、私の目を惹きつけた。



「かせん、かねさだ」



 思わず、声に出して呼んでいた。

 しかし箱の中で寝ているそれは、ウンともスンとも答えない。
 当たり前だ。
 刀は、声を発しないし、頷くことだってしない。

 代わりに応えたのは、父だった。



「おおっ!? ゆかり、よく知ってるなーーっ!」
「えっ、ああっ、うん。社会科の資料集にあったから」



 嘘だ。が、酔っ払った父を誤魔化すには十分なようだった。



「ほー。最近の小学校はついに骨董品のことも勉強するようになったか! 骨董品はいいぞっ! アンティークッフォーエバーーーっ」



 どうやら、しこたま酒を飲んでいるらしい。思っていたよりもだいぶ、父の酔っ払い度合いは酷かった。

 私の父は、骨董やアンティークの収集が趣味だ。
 おかけで家には、父が買い集めたよくわからないものがたくさんある。そんな父に母が怒って、一度それらは父の書斎部屋に詰め込まれたが、最近、また増え始めた骨董品が家を侵食し始めていた。
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