砂時計

□005
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真っ暗な闇の中に私はいた。
ノイズのようにザーザーという音が耳障りでならない。
私は自分の姿がすぐそこに在るのを客観的に見ていた。
一定の距離をおいてそこにいる自分に近づくことは出来ず、見えない檻があって自分がそこに閉じ込められているのか、目の前にいる自分が檻の中にいるのか境が分からない。
反対側にいる自分は私の姿に気付いている様子はなく、地面を見下ろして狂気的な笑みを浮かべている。
視線を辿って行くようにゆっくりと視線を降ろしていく。
真っ黒な世界で初めはよく分からなかったけれど、目が慣れて徐々に世界に輪郭がはっきりとしてくる、が、その光景に蒼空は短い悲鳴を上げて慌てて口許を抑える。
そこには、両手では数えきれないほどの人間の死体が転がっていた。
恐怖に脅えた顔、上半身と下半身が切り離されている者、首や足だけになって転がっているなど、目も当てられないほど無残な状態だった。
向こう側の蒼空はそんな亡骸を踏みつけて愉快そうに笑っているのだ。
返り血を浴びて、服や肌、髪は真っ赤に染まり、彼女が歩けばピチャピチャと音が鳴る。
決して早くはない足取りで向かう先には、恐怖で逃げ惑う男の姿が。
だが屍に躓き転んでしまったが運の尽き、笑みの消えた無表情の蒼空が彼の前に立ちはだかって指を指し何かを呟くと、血の海がまるで生き物のように蠢いて彼の身を拘束する。
そして血が沸騰したかのように湧き上がり、男は絶叫し、呆気なく死んでいった。

『ふふっ・・・あははははっ!!!』

ノイズに重なるように自分の笑い声が響く。
違う、自分の声じゃない、あれは私じゃない。
よく似た誰か、全くの別人に違いない・・・!!
そう心の中で叫ぶと、心の声が聞こえたかのように向こうの自分がこちらに視線を向けてくる。
目が在った瞬間に身体が凍りつく。
危険だ、殺される。
そう思うのに金縛りのように身体が動かなくて。

『みぃつけた』

画面のような境界を難なく越えてくる自分の姿に恐怖を隠しきれずにいた。
そんな私を楽しそうにクスクスと笑う自分はゆっくりと距離を縮めてくる。
来ないで、そう言いたいのに口だけ動いて声が出ない。

『そんなに怖がらなくても、自分で自分を殺したりしないわ。あなたみたいに愚かな人間じゃないんだから』

なんて矛盾したことを言うんだろう。
目の前の自分は私であると言うのに、自殺するような愚かな私ではないと言う。
訳が分からなくて困惑していると、クスクスと笑って私の肩に手を置くもう一人の自分。

『私はあなたの中のもうひとりの私』

そんな訳、ない。
自分の性格が良いとまで言うつもりは無いけど、少なくともそんな残虐さなんて持ち合わせてなんか、

『あなたの中のノア・・・って言った方が分かり易いかな』

驚きで目を大きく見開くと、満足気に微笑むノア。
肩に手を置いたまま蒼空の背後にまわり、背中から抱き着かれる。
首に巻きついた腕や触れる肌から伝わる感触は人間と同じ感触で、暖かくて、繋がっている部分から溶け合っていくような感覚に吐き気を覚える。
自分自身にノアが入り込んでくるような、ドロドロとした感覚が自分の意思に反して取り込まれていく感覚に恐怖さえも感じて、離れたくて、でも動けなくて。

『私を拒むことなんて不可能だよ』

やめて、これ以上私の身体や心を蝕まないで。
大事なものを奪わないで、壊さないで。
ここだけなの、私の存在を認めて、受け入れて、必要としてくれるのは。
ノアになんかなりたくない、ノアになったら、私は・・・

『あなたをそうやって苦しめるもの、ぜーんぶ壊してあげる』

苦しめる?
冗談じゃない、だったら今すぐ消えてくれ。
ノアの存在が何より私を苦しめているのに。

『生憎、もうあなたにはどうこうできる問題じゃないの』

身体中に纏わりつく彼女の腕が徐々に透けていき、同時に自分の中に何かが入り込んでくる感覚がする。
ヘブラスカに身体中を探られてた時のような異物感がなく、あまりにも自然に溶け込む不自然が気持ち悪くて。
ノアの自分の姿が完全に消え、ふと視線を移すと先ほどノアと私の間にあった境界が鏡となってそこに私が映っていた。
私は殺しなんてしてないからノアが触れた処しか血が付いてないはずなのに血飛沫を浴びた自分がいて、私はショックで硬直しているはずなのに、鏡の中の自分はにたりと笑って、嬉しそうに口許の血をぺろりと舐めた――。




目が覚めた時、蒼空は全身に汗をかいて息を切らしていた。
眠っていたはずなのに精神だけでなく身体も酷く疲弊して、喉がカラカラに乾いているのに起き上がる気力もなくて。
脈打つようにガンガンと頭が痛み、目が覚めた今でも汗が噴き出す。
全身の血が逆流するような、沸騰しているような、よく分からないけど今まで経験したことの無い感覚にどうしていいのかも分からなくて、怖くて。
喉に触れると、イノセンスの存在はそのままで少し安心する。
呼吸を落ち着かせ、暫く暗い部屋の中で呆然としていたが、あまりに喉が渇いていたので重たい身体を起こして靴を履く。
パジャマの上からカーディガンを羽織って部屋を出ると、部屋の前にはラビがいて驚いた。

「蒼空!!大丈夫さ?なんか魘されてるっぽくて・・・今ノックしようか迷ってたとこだったんさ」
『ラビ・・・ありがとう。悪いんだけど、水・・・持ってきて貰えるかな』
「いいさ、ちょっと待ってろ」
『部屋にいるから、入ってきて』
「おう」

部屋に戻ってベッドに腰を掛けて一息吐く。
・・・隣に聞こえるぐらい、魘されてたんだ・・・
ベッドサイドの灯りを付けると、枕や布団が汗で濡れているのが分かった。
髪が肌にはり付く感触が気持ち悪くて髪を適当に括ると、ラビが水とタオルを持って部屋に入って来た。

「お待たせ」
『ありがとう』

コップを受け取って水を一気に飲み干す。
乾いた身体が潤っていくようで、多少は身体の熱が引いていく。
深く息を吐くと、ラビがコップを受け取ってくれる。

『こんな夜中にごめんね、起こしちゃった?』
「いんや、本読んでたらなんか悲鳴が聞こえてきて・・・怖い夢でも見たんさ?」
『・・・うん、』
「・・・・・・ユウ、呼んでこようか?」
『いや、・・・神田には言わないで』
「蒼空?」
『いいの。誰にも言わないで』
「・・・本当にいいんさ?」

ラビは、私と神田の間で交わされた誓いを知っている。
何があっても神田にだけは隠し事をしない、確かに私はそう誓ったのだ。

『落ち着いたら自分でちゃんと言うから・・・』
「・・・そ。ならいいんさ」

ラビにタオルを渡され、額や首元の汗を拭う。
タオルはヒンヤリと濡れていて気持ちいい。
首に巻いて、頬に充てていると表面からも熱が冷めていく。

「熱いさ?窓開けるか」
『ありがとね』
「気にすんなって」
『もう大丈夫だから、帰ってもいいよ』
「んー・・・蒼空が嫌じゃなければ俺、暫くここにいるさ。昼間ずっと寝てたからあんま眠くないし、本が読めりゃどこでもいいし」
『いいの?』
「おう。魘されてたらすぐ起こしてやるよ」
『ありがとう』
「じゃ、俺本取ってくるから、着替えてもう寝るさ」
『うん』

コップを持って部屋を出ていくラビの背中を見送ってからパジャマを着替える。
汗に濡れたベッドのシーツを取ってその上に今はタオルを敷いてベッドに入った頃にノックが鳴ってラビが入って来た。
柔らかい光のランプを持っていて、眩しくない程度にほんのりと部屋が明るくなった。

「こんぐらい明るくても寝れるさ?」
『うん、むしろ真っ暗より良い』
「そりゃ良かった。・・・おやすみ、蒼空」
『おやすみ。・・・ありがとね』
「・・・当然さ、仲間なんだから」
『ふふっ・・・』

目を瞑っても暫く寝付けなかったけど、近くに感じる人の気配と本を捲る紙の音に安心してかその後は夢を見ることもなくぐっすりと眠りに就いていた。

こんな時間に、彼氏がいるのに他の男を部屋に入れるなんて、という観念は蒼空には無かった。
別にそういう感情があるわけでもないし、状況が状況だから。
素直にラビの優しさが嬉しかったし、ラビもただ純粋に心配してくれる仲間という距離のままだったし。
それでも、私の部屋に入っていくところを見ていた人がいたみたいで、翌朝には早くも噂が立ってしまった。
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